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「一度、病院で精密検査してもらったら?」
肩が痛いと言って、辛そうにしている夫に提案した。

(肩が痛いとは言うけど、もし何か重篤な病気だったらどうしよう…)
ネットで検索すると、怖いことばかり目につき、つい良からぬ可能性ばかり考えてしまう。

(病気は早期発見に越したことはない!病院で診てもらって、原因解明して、治してもらわなきゃ!)

そんな私の心配をよそに、夫は「もう少し様子を見てみる」と答えた。

私自身は、病院に行くことそのものが好きでない。病院に行ったら、かえって病をもらってきそうなイメージがあるからだ。もちろん、大ケガや虫歯、眼科など、自分の力ではどうにもならない不具合が生じた場合は別だけど、応急処置を施したら、あとは自分で何とかしたい。

しかし…なぜか、家族には「病院で検査してもらったら」発言をしてしまった。え?何で?メチャクチャ矛盾ではないか…。

「自分で何とかして、様子を見る」と、彼は様々な自己回復術を実践した。
図書館で本を借りて、ふだんの姿勢や歩き方、寝方、就寝時の枕など、生活の仕方を変えた。また、起きてからすぐに動き出すと痛みが生じるとのことで、職場に時差出勤を申請した。


借りてきた本たち

自分で何とかする~病は気から~
何かあったら、ちょっと痛んだら=すぐ病院!
病院にいって、何かしら権威のある人に診てもらうことで得られる「安心感」。何かしら(効くかどうか分からない)薬をもらうことで得られる「安心感」。

そこでふと気がつく。病気(=心身の不具合)は、思考が作り出しているものじゃないだろうか。
なかなか痛みが引かない…。●●(悪い何か)だったらどうしよう…。という思考が精神にダメージを与え、精神ダメージは体の痛みになって表れる。もちろん、全てそうだとは限らないし、本当に病気の可能性もなくはない。ただし、その病気も「気持ち」で回復させることもできる。

だから、夫の「自分で何とかする」行為には意味がある。これを続けたら良くなるを信じて、毎日小さくても行動を変える。即効性はないが、コツコツと続けることで、いつの間にか体は変わっていく。

そこまで考えて、私は「病院で精密検査してもらったら?」の発言にハタと気がつく。診てもらう、治してもらう…。●●してもらう、ってまるで他人まかせではないか?と反省。

自分の体は自分で何とかする
ちょっと痛いから、ちょっと具合が悪いから…で何となく外(主に病院)に頼っていないだろうか?
私の体を作るのは、他でもない私自身。まず何か自分でできることはないか考え、実践する。その上で困っていれば、外に頼れば良い。

小さくても「自分で何とかできた」を積み重ねて、安定した心と体を作っていきたいと思う。

この件を思ってひいたカラーカード。粘り強く!信頼する!まさにこれ。

【雑記】
その後、「自分で何とかする」術で、夫は少し回復した模様。見習おう。


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