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虐待被害者が虐待者になる時

 人間の身体というのは常に平衡を保とうとする。喉が乾けば水分補給し、尿意を感じたら放尿する様に失ったものを補う一方、有害なものは排除することで身体機能のバランスを調える。行動心理でも似たような働きがあるからこそ虐待被害者が虐待者なるという怖ろしい悪循環が発生するのではないだろうか?

 散々、精神的に傷つけられた分、周囲の人間にその痛みを放出してしまうのだろうか?

 愛し合ってても傷つけてしまうのだろうか?

 Steven Stosny (Ph.D)博士監修の記事を読み通してわかったのが「虐待被害者と虐待者は紙一重でもある」と云う点だった。Stosny 博士曰く、被害者が偏陋してしまう現象の発端は近代の誤った被害者保護運動等にあると論じる。最初、被害者保護運動から発した種々の社会運動組織は虐待被害者の社会的孤立化を防ぎ精神的健康の回復を支援するためのプログラムを成立した。

 ただ、今となれば被害者保護運動は英語で俗に言う "Victim Identity Movement" 即ち「被害者アイデンティティー運動」となってしまった。「被害者アイデンティティー運動」に携わる自己啓発書の著者や虐待被害者支持活動家がメンタルヘルスを事業の新天地や社会的階級における位置を高める好機会とみなして専門的知識がないのにも関わらず「自分も虐待の被害者だ。」の一点張りで自らの立場の正当化、及び発言の信ぴょう性を図ろうとする。

 もし、自分の虐待被害者である恋愛相手がそのような輩の話を真実性も疑わずに受入れてしまったらどのような行動を起こしてしまうのか? 「被害者アイデンティティー運動」に囚われてしまった虐待被害者が有害性のない恋愛相手に対して主に5つの行動をとると云う。それは:

1. 恋愛相手に対して向けた攻撃的な行動を最小化または正当化する。

2. 恋愛相手の視点を断固却下する。

3. 恋愛相手の肯定的、好意的な行動に悪い属性があると決めつける。

4. 恋愛相手に否定的なレッテルを貼る (例: 自己中、ゲス、支配的)。

5. 恋愛相手を病理化する。

 では、どうしてこの要な人格が出来てしまうのか? 「虐待被害者の専門家」みたいになんの専門知識もないくせに個人の虐待被害者支援活動の「果」をSNS等で堂々と語る駄作者は相談に来る虐待被害者に適切な心療アドバイスを与える代りに被害者が被害者であるアイデンティティーを強調し、被害者としての絶対的権利意識、及び地位や補償を問答無用に認めず検証しない人を思う存分けなすのは正義だと説得するだけだからである。

 Stosny 博士自身が行った心療カウンセリングの臨時経験に拠ると以上の悪影響は虐待被害者の潜在意識内の自動防御システムを「やられる前にやってしまえ」の原理で暴発させ、虐待者がみせるような自己愛性人格が具わって、最終的には虐待者でもない恋愛相手の心を裂く。

 結論はStosny 博士が読者に訴える通り、もし自分の恋愛相手がこの要な現象にみせた場合、恋愛相手の有害性を責めるのではなく逆に相手の心中に残る思いやりの性質を最大限に拡張して恋愛関係の安全と成長を一緒に目指すことが出来る心療カウンセリングを受けることが最善策なのであろうか?

 それとも自分の場合は全て手遅れなのであろうか?

追加: 変な輩が適当な事を抜かしているようだが、あえて説明しよう。
お前が「精神疾患を患っている」など、何処にも書いていない。
論理的思考能力が全くないのか、"Victims and Abusers" 「被害者と虐待者」とあることから普通、被害者と言うのは具体的に虐待の被害者のことである。だから、「虐待被害者」と書いた。
英語もろくに理解出来ないくせに勝手なこと言うな。

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