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日記:映画『99.9』と『藪の中』と『機械』

12月30日に映画99.9を見て来ました。
ドラマ『恋です!』で杉咲花ファンになった私は、ユキコちゃんと同一人物と思えない彼女の豹変っぷりにとても痺れました。否、痺れたん、デス!!


※以下、映画本編のネタバレを含む感想となります。

ぶどう畑の牧歌的な風景や、やる気ない人が大半の文化祭みたいな事件現場再現で、画的にはほのぼの感が強め。
終演後には、一緒に見に行った家族と「おやじギャグはSPドラマの方がキレが良かったね」などと感想を言いつつ、
終始笑ってたし楽しかったけど、でもやっぱり事件の真相に対してはモヤッと考えさせられる感じもあって、面白い映画でした。

すぐに思うのは「いやいや、どう考えても高橋克実(がやってる父親役)が一番悪いだろ」ということなんですが。
”親心”というには浅はかな判断に、もっと別の打算があってのものだろうと穿ってみたくもなります。その嫌な感じに、高橋克実の情けない雰囲気が良く合ってました。

***

何かを考える時、直近で得た引き出しをついつい使ってしまうのが癖です。

今回の映画『99.9』についても、去年の年末にNetflixで見た映画『藪の中』、それと去年読んだ本の中で一番面白かった横光利一の『機械』を引き合いに出して考えています。

『藪の中』は太宰治の小説が原作で、藪の中で起こった殺人事件について、関係者三人の証言が食い違い、真相が分からない(藪の中)という話。映画では黒澤明によって真相めいた”第四の証言”が追加されて綺麗にまとまっています。

『機械』はネームプレート工場で技術を盗もうと働く主人公が、その立場ゆえの疑心暗鬼の中で二人の同僚と関わっていく話。
工場で使う薬品の影響で主人公の思考が徐々におかしくなっていき、突如起こった同僚の死が、自らの手によるものなのかどうか自分でも判断できない、という自己認識の崩壊と共に話が終わります。

・罪の自覚
映画『99.9』では、犯人は真相が解明されるまで罪の自覚が一切ありません。
私の数少ないミステリー鑑賞・読書経験の中でも、この「自覚なき犯人」というタイプは結構多い気がします。
罪の自覚がないから嘘を吐く必要もない。というのが強みになるわけで。

『藪の中』は、三人の異なる証言の中で、それが意図的な嘘なのかそれとも認識の違いなのかが分からない部分が多々あります。立場や性別の違いが、状況の認識や説明に差異を生み出すという、ある種当たり前のことを示しているとも言えそうです。

結果的に嘘になっていたとしても、「そう思った」「そのように見えた」というのは、嘘というよりも誤認です。
真実の対が嘘だとしたら、事実の対は誤認でしょうか。

コナン君が暴くのは真実で、深山弁護士が探すのは事実。

彼が”真実”ではなくて”事実”を知りたいというのも、そこに必ずしも”嘘”があるからというわけではないからなのか…などと。

『機械』はもっと複雑で、自分で自分の行動の真実性を疑わざる得ない状態になった時、もし誰もその現場を見ていなかったとしたら、一体どうやって自分の罪を認識すればいいのかという疑問を投げかけてきます。
今回の映画『99.9』でも、もし事件の真実が暴かれないままに大人たちがみんな死んでしまったら…
息子の彼は、何かの違和感を抱えたまま生きていくだけだったんでしょうか。

・深山翔大のキャラクター
人情味をあえて出さないのが持ち味の主人公深山ですが、これ自体はミステリーの主人公には良くあるタイプな気がします。事件解明やトリックに興味があるだけの変人みたいなタイプ。

それでも深山には「間違いなく正義感がある」、と言えるのは「刑事事件を専門に扱っている」というその事実こそが理由だ...てなことを先日主演の松潤がラジオで言っていて、なるほどなと思いました。

弁護士の娘と村の息子、それぞれの「本当のことを知りたい」という思いの結末が、それぞれ全くちがうものになる。その対比をみせるストーリー展開が、映画の肝だったように思います。
そして、それを黙々と解決していく深山青年の行動を、彼の過去を知っている視聴者は良いように解釈していくわけで。

ドラマ版で貫いたあえて何もしゃべらない、というキャラクターメイクが、この映画でうまく結実したなあという感じがしました。

・過去を「乗り越える」のか「隠して忘れる」のか
舞台挨拶で監督が、この映画のテーマのひとつに「復興」があるとおっしゃっていました。
この「復興」、熊本や東北といった被災地の復興後の姿を示すポジティブな面もある一方で、いざ観終わってみると、扱っている事件の内容からしてネガティブな意味合いもあるように思いました。

一言で言えば、復興によって「忘れられたもの」や、悪い状況から立ち直るために「故意に隠されたもの」の存在を暗に示しているような。

集団で何かを隠す。もっと大きく言えば「集団で歴史を修正する」ということは、いつの時代も往々にして起こっているという、それは殺人と比べて、果たしてどっちの罪が重いんでしょう。比べるものでもないとは思いますが。

(カバー画像は河鍋暁斎画のカラス(一部)。カラスは本当に黒いのか否か)

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