記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。

アニメ『忘却バッテリー』雑感

アニメのネタバレ注意


最終話
千早がつぶやく
「他愛のない女子高生の日常を淡々と描いた作品で溢れるこの世界に」

全能感溢れる能力モノ
異世界に行って好き放題欲望を曝け出すアニメしかない現在に

現代の繊細な若者の心理を野球を通じて深く描いた。

久々にまともに見られるアニメがきた、
と思った。
十二話見て見終わって感慨に耽る。


主人公の名前は山田太郎。
昭和の名作スポコン漫画『ドカベン』の主人公と同じ名前だ。

(主人公の父親がドカベン好きでつけられた名前らしい)

それもあって、初めはただのよくある野球スポ根アニメかと思った。
普通に野球ができる学生が弱小野球部に入ったら、
そこにはたくさんの個性派キャラが集まっていて、
みんなで力を合わせてどんどん敵を倒していく。

(もしくは岩井俊二の『花とアリス』的な記憶喪失を利用したBLになるのかと思った。)

そんな物語だと思った。
実際、最初の方はそういうふうに思い込んでも(重いコンダラ)仕方ない。

最強のバッテリー。
そして、そのバッテリーのあまりにも驚異的な能力と自分を比較して野球を辞めてしまった野球エリートたち。
彼らがなぜか弱小公立高校に集合するのであるから。
野球漫画、野球アニメのロマンを詰め込んだ夢のような(ありふれた)作品かと思ってもおかしくはない。

だが、話が進むにつれてそのようなマッチョでロマンな昭和スポコンのような雰囲気でないことが明らかになる。
誰も知らない都立の野球部に集った天才と凡才の心の背景が明かされていく。
一人一人の心象風景が明らかになっていく。
そりゃあ幼い頃からやってるスポーツを辞めてるんなら
訳ありに決まってるけど、
コミカルに進んでいく物語に反して
皆、野球と野球をする自分というものに対して恐ろしくコンプレックスな思いを抱えていた。

モノホンの天才を見て自分と比較して野球を辞めてしまった主人公、
完全に記憶を失い野球をするのもままならない天才捕手、
そして相方を失い野球をやる意味を新たに見つけられぬ天才投手、
失敗に囚われてイップスでファーストにまともに送球できなず、仲間に迷惑をかけることを恐れて野球をやめた遊撃手、
背の低いことやプレースタイルに悩み自我に囚われ野球を一度やめてしまった二塁手、
素質はありながらも体育会系のノリについていけずに野球をやめた心の弱い外野手、
一人一人が些細だけれど大きな悩みを持ち、心のうちに爆弾を抱えている。
捕手の昭和テイストのギャグに隠されてはいるが、大きな青春の闇を抱えている。


(奇しくも(参照にしたのかもしれないが)『ドカベン』本編も話が進むにつれて皆様々な苦悩を抱えていることが明らかになる。
有り余る力のスライディングで敵の目を潰してしまい野球をすることに負い目を感じていた山田
家族から愛されないと感じている岩鬼
ピアノの天才として宿命づけられた殿馬
正当に力が評価されず心が捻じ曲がってしまったサブマリンチビの里中
後輩に対して大人になりきることができないヒーローだったはずのドエガキ
感情が著しく笑みに偏ってしまっている微笑三太郎
ただ、忘却と比べると劇画的、劇場的な苦悩が多い。やはり時代が違う
時代が違うといえば『おおきく振りかぶって』という作品もあった。
平成を代表する野球漫画、アニメだ。
これも気弱でいじめられていた主人公が理知的な捕手や監督、認めてくれる仲間と出会い大きく成長する物語である。
こちらはマインドが比較的忘却の方に似ているか。)


たかが野球。
だけど一学生にとってはたかがじゃ済まない。
されど、学生野球
野球。
幼い頃からやってきた野球。
唯一積み上げられた努力。(もしくは怠け)。
唯一の成功体験(もしくは失敗体験)。
野球を介した深い深い人間関係。
野球をしてきたことを見守ってくれた周りの人。
だから一学生にとってはたかがじゃ済まない。
多感な青春時代において野球は彼らにとって哲学のレベルにまで心理的影響を与えうるだろう。
それをこのアニメはよく理解して丁寧に丁寧に描いている。
学生を学生だからと突き放すことなく、それらをそれぞれの主観に立って寄り添っている。
だからこの作品は傑作なのだ。


爆弾が破裂することを恐れながら日々を送っている。
「野球なんて辞めちゃえばいいじゃないか。所詮は学生時代のお遊びだ。」
作中ではこの爆弾をタイトルに絡めてうまい具合に言い換えている。

野球なんか忘れて普通の日々を生きれば良いじゃない。

タイトルの「忘却」はバッテリー、もっと言えばキャッチャーに関するモノだったはずが、
いつの間にか皆の話になっている。

野球が中心にあった自分の人生を丸ごと忘れて仕舞えば良い。

忘却

これが一つのキーワードとなって
彼らは青春の持つ意味を探り、
彼らは十二話の中で一つ成長する。
忘れてしまっても良いかもしれないのだけれど、
でもやるんだよ。


何より野球は楽しいのだ。

精神的にどこかが欠けていたり、過去に何かがあった者同士、
一つづつ協力して冷静に問題点を捉えて乗り越えていく。
そこには恫喝や異常なまでに精神力を試されるような練習法など存在しない。
理性的に前の問題に取り組む。
令和の多感な青春を生き抜く術が存在する。
これを「野球」を通じて、「忘却」を通じて提示できた本作は間違いなく時代を代表する傑作だ。


ドカベンの最終回、覚えているだろうか。
もう青春を超えて彼らはスーパースターである。
不審に陥る山田に岩鬼が声をかける。
こうやってグッと引いてフルスイングや。」


岩鬼のアドバイスと山田の特大ホームランで長く長く続いたドカベンサーガは終焉を迎える。

忘却バッテリーサーガもこうやって仲間と終われば良い、
と願う。

とりあえず十二話は
打線をうまく繋げ、
圭の復活を告げるような勝利打で終了した。


忘却を一つのテーマとして、皆が輝いている。
生き生きとしている。
それで良い。


頑張れ頑張れドカベン
山田太郎



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?