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「依存」から脱却するにはどうしたらいいのか?

先日、「アイドル好きな日本人がやたらと多い」みたいな話を書いたのだが、あらためて考えてみると、何かに依存している人って多いなと思う。「依存」とひと口に言ってもいろいろなパターンがあるが、「それがないと生きていけない」みたいな状態は依存と言えるのではないだろうか。

「依存するものがあっても、それで生活が充実するのなら、別にいいんじゃないか」という考え方があるが、「それがないと自分の人生は成り立たない」みたいなものがある状態は結構リスキーだし、あまり健全ではないと思う。酒やタバコなどであれば身体にも悪いし。

依存から抜け出すにはどうしたら良いのだろうか。とある精神科医の意見によれば、「依存から抜けだすには、自立しなければならない」ということのようだ。

「自立」とひとくくりに言っても、これまたいろいろな切り口がある。経済的な自立、精神的な自立など、様々である。

「経済的な自立」のほうが概念としては少しややこしいようだ。確かに、「経済的に自立している」とはどういう状態を指すのか、意外と定義が難しいものだなと思った。僕は会社員として働いて生計を立てているが、今の会社が潰れたり、解雇されたりしたらたちまち収入がなくなる。そういう意味では会社から自立してるとは言えない。

しかし、職を失えばまた新しい会社を探し、働き始めれば収入が入ってくるので、そういう意味では問題なく自立しているとも言える。生活保護を受けたり、親からの支援で生きている人も自立していないように見えるが、自分とどう状態が違うのかというと、なかなか難しいところがある。

なので、「精神的な自立」ということを考えてみる。精神的な自立とは一体なんだろうか。それも精神科医によれば、自分で考え、自分で判断し、自分で行動することが「自立」ということになるらしい。

一般的な大人であればそれらの能力は備えていると思うので、そういう人は「自立している」とみなされるのだろう。

しかし、深く考えていくとこの精神的な自立という概念も、実は結構難しい概念じゃないかと思う。自分が考え判断し、行動するとは一体どういうことなのだろうか。

誰かに依存し、自分で判断していないと思えるような人でも、それはそれで個人の判断だとも言える。例えば、「親が全てを決める」という家庭があったとして、その子どもは「親がすべてを判断するという判断」をしていることになる。なので、「自立」のためには、判断や行動を特定の誰かに委ねすぎない、ということなのかもしれない。

0から100まで誰かに全てを決めてもらうのではなく、一部分でも「自分で考え、決める」プロセスをはさむことが自立には必要なのだろうか。

その意味で行くと、会社員の大半はあまり精神的に自立してるとは言えないような気がする。与えられた仕事はこなすが、そもそもの仕事全般について、自分で考えて行動していない人もそれなりにいるように思う。キャリアは「会社に作ってもらっている」ような感じである。これは、会社に依存していると言えるだろうか。

会社が成長し、自身も成長し、会社から必要とされている限りはそれで良いのかもしれないが、一度歯車が狂うとその前提が崩れていくだろう。リストラされて途方に暮れてしまう人は、自立せずに社会人生活を送っていた、ということなのだろう。

こういったものは、本人の性格などの資質もあるが、訓練次第のような気がする。おそらく、まずは親がその訓練をさせるかどうかがあるのではないだろうか。どんな小さなことでも、自分で考えさせ、判断させることを課していくのが大事な気がする。

先日奥さんと話していたのだが、不登校になる子どもの原因としては、親の無関心が原因ではなく、「過干渉」が原因であるケースが多いということだ。ちょっと意外だったのだが、子どもに「自分で考えて判断させる機会を奪っている」という点では、確かにそうなのかもしれない。

酒やアイドルに依存する人は、これらとは少し違うかもしれない。酒やアイドルは、自分のかわりに物事を判断したり、決めたりしないからだ。しかし、「それがなくては生きていけない」と物質的に依存している状態は、生活を立て直すサインなのかもしれない。いずれにせよ、あまり健全な状態とはいえない気がする。

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