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コンビニ人間に話しかけるのが怖い

村田沙耶香が「コンビニ人間」という作品で芥川賞受賞したのはもう数年も前の話だ。あれはわりと衝撃的な作品で、多分その衝撃は世間の人の多くが感じたはずだ。だからこそ、ベストセラーになったのだろう。
 
「コンビニ人間」は、コンビニで働き、コンビニで働くために生きる女性の話だ。もちろん小説だから人物像はデフォルメされてはいるのだが、しかしこういう人ってあんがいいるのかもしれないなぁ、と感じさせる部分もある。

というか、自分が日常的に利用しているコンビニの店員も、部分的に、このコンビニ人間的要素を含んでいる、と思う。いや、これが作者の村田沙耶香の「素」なんじゃないか、と思うこともある。
 
僕は「店員」との会話が基本的に苦手だ。これはコンビニに限らず、カフェでも、ファストフード店でも同様に苦手だ。美容院とかはまだいい。飲み屋さんもまぁ、大体いける。

仕事で初対面の人と話すのは非常によくあることなので、別に初対面の人が特別に苦手というわけでもない。では、なぜ「店員」との会話がこんなにダメなのかなぁと考えていたのだが、「コンビニ人間」という概念を持ってくると、少しこれの説明ができるような気がした。

要するに、コンビニの店員というのは、「人間っぽさ」が極端に薄いのだ。基本的にほとんど同じようなセリフしか発しないので、その相手を「人間」として扱っていいのか、ちょっと迷ってしまう。店員側も「人間扱い」を望んでいないような気がするのだ。スムーズに仕事を処理したい、と思っているはずなので。

例えば、お弁当を買ったときに、「温めますか」と聞いてくる。それに対する答えは、「はい」か「いいえ」しか許されないようなところがある。実際にはそれしか許されないということもないはずなのだが、自分たちの後ろに並んでる人もいるわけだし、余計な時間がかかるのであまりマニュアルから外れた会話をすることが推奨されていない。
 
つまり、コンビニ店員と接する時、客側もまたコンビニ店員と接するための「コンビニ客」であることを要求されるように思う。

お弁当買ったときに、お弁当温めるかどうか以外の話題を持ち出すという事は、相手をコンビニ店以外のただの人間として認めると言うことになるわけだが、そういう対応はマニュアルには含まれていないはずなので、おそらく混乱をきたすに違いない。相手は「コンビニ人間」であって、事実上、私たちがよく知る「人間」ではないのだ。
 
多分それが本能的に居心地が良くないので、店員との会話が苦手なのだと思う。だいたい、どういう表情で接すればいいのかいまだによくわかっていない。基本的にほぼ無表情で接しているのだが、これで正解なのだろうか。コンビニ人間とは言え、中に入ってるのは普通の人間のはずなので、多少笑顔で接した方が良いのだろうか。いや、全く大きなお世話かもしれないが。

自宅から一番近いファミリーマートに、素晴らしく笑顔が素敵な女性店員がいる。この人の場合は、「コンビニ人間」的な要素をあまり感じない。無論彼女は誰に対しても愛想が良いのだが、なんとなく、コンビニ人間としての接客は超えてるような気がする。
 
しかし、多分シフトの前後なのだと思うが、制服を着ていない時の彼女と店内ですれ違うことがある。その時は、彼女は制服を着ていないので、店員として振る舞う事はない。つまり、すれ違っても挨拶してくれることはない。そうやって見てみると、いつもの接し方は彼女なりのコンビニ人間なのかもしれないなとふと思った。
 
いずれにしても、コンビニ人間との接し方は未だによくわからないものです。あれは「人間」なのだろうか?

僕もまた、別のシチュエーションでは「コンビニ人間」なのかもしれないが。

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