大事なのは、「走ること」そのもの

年始に受けたTOEICの結果が出た。755点だった。

世の中には800点以上、900点台の人もゴロゴロいるので、そんなに自慢できるような点数ではないのだけれど、急ごしらえの勉強(一ヶ月ほど、スマホアプリの単語帳をやったぐらい)でこれだけの点数がとれたので、自分としてはそれなりに満足している。

TOEICは何点をとったから合格、というのはなく、純粋に点数を何点とったかの世界なので、目標は自分で設定するしかない。次は、弱点を勉強しなおして、800点以上を狙おうと思っている。

まあ、いくらこれで高得点をとっても、それだけで武器になるわけではないから、程々にするつもりではあるけれど。
 
仕事で英語をよく使うので、英語には慣れているつもりだったけれど、仕事の英語は専門用語を多用するので、実際の語学力とは連動しない部分も多い。また、英語で話す相手もネイティブではないことが多いので、平易な英語を使っている、ということもある。そういったことを見直させてくれるいい機会になった。
 
こんな具合に、試験を受けて、結果を見て次の試験にまた備える、というのは結構楽しい。当然ながら、次もだいたい似た形式のテストを受けることになるので、対策を打つことができる。

苦手なところを絞って勉強しなおせば、点数が伸びる公算がある。非常にシンプルな話だな、と思う。

この歳になって思うのは、勉強というのは「やったか、やらないか」がほとんどすべてだということだ。

勉強のやり方なんてのは、じつはほとんど問題にならない。まず勉強をする習慣があって、その効率を高めるためにやり方を工夫する、というのが正しい順序だと思う。

勉強を開始する前から効率のいいやり方を模索する人は多いけれど、そういう人はつまるところ、「怠け者」なのだろう。最初から、なるべく最小限の労力で済ませようとしている。

なるべく最短距離で、なるべく失敗せずに効率よく成功しよう、などと横着なことを考えると、結果が出なくなった時点ですぐに挫折してしまう気がする。勉強したけどうまくいかなくて、「こうやって工夫したらもっと効率がよくなるかな」、とアイデアを出して考えていくのも勉強なのかな、と。
 
仕事にしても、「これをやりましょう」ということになったとき、やる前には何も言わなかったのに、できなかったときの言い訳として、「これをやることに意味があるんですか」と言い出す人がいる。

まず大切なのは「やること」であって、効果があるかどうかを考えるのはその次だ。もし、同じ労力でもっと効果の上がる方法があるのであれば、やるべきことをやったあとで、提案すればいいと思う。

それは自分の勉強でも同じだ。まず実行計画を立てて、その計画で本当に効果があるかをときどき確認して、軌道修正する。大事なのは、「走ること」そのものなのだ。

自分で決めたことを実行して、もっといい方法を思いついたら、走りながら考える。そういうふうにありたいですね。

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