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「真剣に」取り組んでいいですか?

プロゲーマーの梅原大吾が、ある日「格闘ゲームで勝てるようになったときのこと」を話していたことがある。ちょっと抽象的な話だったのだが、「『格闘ゲームでここまで真剣に取り組んでいいんだ』と気づいたから」というのだ。

最初に聞いたときは「?」だったのだけれど、最近、なんとなく言わんとすることがわかってきた。要は、「単なる遊び」だったら友達と楽しく対戦するだけだが、本格的に「研究」をしてもいいんだ、ということを言っているのだと思う。単なる「遊び」ではなく、格闘ゲームを「競技」として認識し始めた瞬間だったのだろう。



街の繁華街などには、「ボードゲームカフェ」みたいなものがある。僕もあまり詳しくはないのだが、世の中には数えきれないほどの種類のボードゲームがあって、そういったお店に行くことで、新しいゲームと出会うこともできるし、友達とそこで対戦をして盛り上がることもできる。

初めてプレイするゲームの場合、そこに行って初めてルールを知る、みたいなこともあることだろう。そこで初見のゲームを友達と数時間遊び、解散する。面白ければ、再度来店してまた遊ぶことがあるかもしれないけれど、基本的には数回遊んだだけで終わってしまうゲームが多いのではないだろうか。

そういうゲームと比べると、いま僕が趣味としている将棋は、ちょっと様子が違う。奥がとんでもなく深いというか、「ガチの人」の量が半端じゃない。

初見でルールを覚えたら、たしかにすぐにプレイすることはできるのだけれど、数時間程度の経験であれば、全くのビギナーとほぼ変わらない。なんせ、1年、2年と取り組んでも、まだまだビギナーなのだ。

対局をして強くなるのももちろん大事なのだが、例えば終盤の「玉を詰める」ところに特化した、詰将棋の練習問題の本なども出版されている。そのほか、駒の動きを最大限に生かすための「手筋」と呼ばれる技みたいなものがあり、それに特化した本なども出版されている。

いちばん最初の初心者のうちは駒の動かし方とか、そういったレベルでの戦いになるのだが、ある一定以上のレベルになると、「単手数の詰将棋や手筋は知っていて当然」みたいなレベルになってくる。

もちろんそれらにも上には上がいて、詰将棋は詰将棋選手権なんてものもあるし、そのレベルの問題になると、僕が多分一生使っても解けないような問題がたくさんある。なんというか、本気で取り組んでいる人がやたらといる世界なのだ。

もちろんボードゲームカフェを否定するわけではないが、ボードゲームカフェは「遊びの場」であり、そこで出されるゲームに勝つために、例えば何百時間と練習しまくるというのはちょっと違うよな、ということになる。

それは空気が読めないというか、水を差すような行動にあたるのかもしれない。ボードゲームでみんなで和気あいあいと楽しもうと思っているところに、何百時間もそのゲームに特化して練習したような「ガチ勢」がいたら、確かにちょっと興ざめというか、レベルの差がありすぎ、盛り上がりに欠けるのではないだろうか。遊びに対してガチで取り組みすぎるというのも問題がある、と言うことだ。

僕は最近趣味でNintendo Switchのマリオカートを奥さんとやっている。見たら、累計のプレイ時間が100時間をゆうに超えていた。だが、レーティングでいうとまだまだという感じなので、上には上がいる。

最近は、ただ漫然と対戦をするだけではなく、自分の苦手なコースを一人でも練習して、コースの特徴を覚えたり、ちょっとした技なども練習したりしている。しかし奥さんは基本的にそういう事はやっていないので、自分だけがそういった練習をするというのはどうなのかな、と少し疑問に思ったりすることもある。

実家に帰ったとき、姪っ子が「ブロックス」というボードゲームを持ってきたので、一緒に楽しく遊んだのだが、結構コテンパンにやられて悔しかったので、ネットでブロックスの対戦をできるサイトを見つけてきて、密かに練習したりしていた。そうすると、一時的にこちらのほうが強くなってしまって、なんとも微妙な空気になったこともあった。

以前勤めていた会社では、フットサルの大会が福利厚生の一環として催されていた。最初は和気あいあいとした大会だったのだが、結構優勝景品が豪華だったので、数年経つとみんなガチでそれに取り組むようになった。

出場者はサッカー経験者は当たり前で、インターハイに出ていたレベルの選手がいたり、サッカーが上手な外国人の従業員なども参加してきたりして、本格化してきた。

僕はサッカー経験がなかったのだけれど、一度試合に出場したことがある。が、数年が経つとレベルが高すぎて、僕は出ることなんて論外という次元の戦いになっていた。それはそれで盛り上がっていたのだけれど、ガチでやりすぎるとちょっと困る、というのも確かにあるな、と。

みんなで和気あいあいと盛り上がるのも楽しいが、ガチの人々が真剣にやり合うのも面白い。しかし、どちらかというとガチで取り組んで、真剣にぶつかり合うほうが好みかもしれない。「ワイワイと楽しく、盛り上がるように」というのが自分の場合、あまり目的ではないからかもしれない。

冒頭の梅原大吾の「格闘ゲームに真剣に取り組んでもいいんだ」という気づきは、ものすごく真剣に取り組んでいる人たちに出会えた、ということなのだろう。たしかに、それは象徴的な出来事かもしれない。

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