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年々、親に似てくる現象について

薄々気付いていたことではあるのだけれど、年々、父親に似てきている。成人するまではあまり似ていないのでは、と思っていたのだけれど、年を重ねるごとに似てきている。

もっとも、この傾向は自分のみならず、周囲を見渡してもそういう傾向にあるようだ。10代ぐらいのうちはさほど似てない親子も、30代、40代と年齢を重ねるにつれて、似ている度合いが増していく。

もっとも、子どもは親の遺伝子で構成されているのだから、これは当然だろう。「血が流れている」という表現をすることがあるが、それはまだ遺伝子の正体がわかっていなかった時代に作られた言葉で、実際は血どころか遺伝子という設計図の元が親なのだから、似るのは必然といえる。

もちろん、実際には遺伝子のみですべての要素が決定されるわけではなく、後天的な環境で獲得する部分がかなり多いので、厳密に言うと「自分の設計図」というわけでもないのだが、先天的な要素は遺伝子によって決定されるので、根幹は同じだと言っていいだろう。


 
なぜ小さいうちは親に似ていなくても、大人になると似てくるのか、少し考えてみた。小さいときや思春期などは、基本的に子どもは親に反抗を示すものなので、「親に似ないように」努力するのだろう。

10代、20代というのは、若者特有のファッションをしたり、髪を染めたりして、「外見的に親に似ないように」努力をする。しかし、そんな涙ぐましい努力も実は遺伝子によって最初からインプットされていた機能で、「親と違うように行動する」ことで「親にはない要素を獲得する」狙いがあるのだろう。

あらゆるものに反抗しているように見えて、実は遺伝子の手のひらの上で遊ばれているだけ、なのである。
 
父はもともとエンジニアで、父方の祖父も職人だった。一方、母は美大を出ており、母方の祖父は建築士だったが、趣味で陶芸を油絵をやったり、ケーキ作りをしたりとなかなか芸術的なことが好きな家系だった。そのふたつの要素がブレンドされたのが自分なわけだが、確かにそう振り返ってみると、どちらの要素も併せ持っている感じがする。

10代の頃、趣味で作曲や小説などを書いていた部分が「父とは違う部分」であり、30代の今は、そういう「父にはない要素を獲得した父」のような感じになっている。


 
そういった部分まで俯瞰できると、なんだかおもしろい。結局、自由意志だなんだといっても、生物が進化していく本来の仕組みの上での話でしかないからだ。

世代交代をしつつ、「基本的な要素」は親から受け継ぎながら、「新しいものを獲得する」仕組みはこういうことなのかな、と。

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