見出し画像

「努力」は人間だけの特権

2月2日、将棋をはじめて丸2年になった。主に将棋ウォーズというアプリで指しているのだが、3級に昇級したのが去年の3月。そろそろ1年になる。たぶんこのままいくと3級時代は1年以上に及んでしまうと思うのだが、なんとか夏までには2級に上がることを目標に頑張っている。

将棋プレイヤーは何百万人もいるが、だいたい1級から初段のあたりがちょうど将棋人口の実力の「半分」だと言われている。3級はもちろん弱いほうだ。本当にセンスのある人なら初段までは1年と言われるが、数年かかるのが普通で、10年経っても初段になれない人もいる。

ゴルフでスコアが100を切ることを「100切り」と言ったりするが、どんな競技でも「ここまでいけば中級者」というラインがある。まずはそこを目指すのが一般的だし、明確な指標があるので、モチベーションも湧く。

ここ数ヶ月ほどわりとストイックに取り組んできた実感があり、最近ちょっと棋力があがってきたような実感がある。

将棋のトレーニングのうち、一番大切なのが詰将棋だと言われている。いまは5手詰めの問題集を使っているのだが、朝に10問解く。制限時間は各1分で、解けなかったら解答を見て、頭の中で駒を動かしてみる。解けなかった問題は明日にまわし、解けるまでやり続ける。それを延々と反復している。

大人になると、漢字ドリルや計算ドリルなど、日常的に脳を鍛えるトレーニングはあまりやらない。自分の場合は、詰将棋を解くことで脳を鍛えている。数独などのパズルもあるが、詰将棋のほうが将棋の棋力向上につながっていくので楽しく、こっちのほうが合ってるな、と思う。

また、どんなに気が乗らなくても毎日2局指すことを自分に課していて、これも淡々と取り組んでいる。毎日2局なので、2連勝できる日もあれば2連敗の日もあり、結果はまちまちだ。勝つと嬉しいし、負けると悔しいのだが、これも「淡々とやる」ことをテーマにして、日々取り組んでいる。

不思議なもので、勝ち続けると負けるのが怖くなって「もうやめよう」という気持ちになり、負け続けると悔しいので「もっとやりたい」という気持ちになる。

しかし大事なのが、自分の気持ちで対局数を増減させることはやらない、ということだ。2連敗して悔しい日もぐっと我慢して、その気持ちを翌日まで持続させることを優先している。この自制が、この習慣を長続きさせてくれているような感じもする。

毎日自分で決めた量をこなすことが大事、ということだ。つまり反復である。日々まったく同じことをしているわけではないのだけれど、自分で決めた量をやり続けることって大事だよな、と思っている。

反復練習によって能力を伸ばすことができるのは人間の特権だよな、と思う。どんな動物も反復練習をしない。狩りがうまい動物は生まれたときからうまい。狩りが下手な動物は飢えて死ぬだけだ。狩りが下手だとしても、弱点を分析して、反復練習をしたりしない。

努力の本質ってなんだろうな、とたまに考える。努力のうち、わかりやすいのが反復練習だ。同じことをやり続け、できるようになるまでやる。できるようになったら、何も考えずにできるようになるまでやる。

「何も考えずにできる」が身についてはじめて習得したということになる。そこから先は応用で、習得した基礎のうえで何かまた新しいものを身に着けていく。

それを継続するうえで最も大事なのは気が向かないときにも手を動かすことかな、と思う。気が向いたときにだけやるのが一番やりやすいけれど、気が向かないときにもやらないと、伸びない。仕事ならまだしも、趣味でやっていることでそんなストイックに取り組む必要はあるのかと思うけれど、それでもやる。自分の能力を伸ばすこと自体が楽しいからである。

事前にやるべきことを決め、それを反復練習によって少しずつ伸ばしていくのがわかりやすい「努力」の形なのかな、と思う。それによる能力向上を実感した人は、「なるほど、こうすればいいのか」と努力の本質を掴みやすい。

自分はやったことはないけれど、公文式などの教育もこういったことをやらせ、努力の本質を習得させる目的でやっているのだろう。ここで努力の形を学んでおけば、いくらでも応用がきく、と。

あなたはどう思いますか?

サポート費用は、小説 エッセイの資料代に充てます。