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普段接点のないひとたちと接すること

「類は友を呼ぶ」という言葉があるが、実にその通りだと思う。なるべく交友関係が偏らないように、幅広い人と付き合うように心がけてはいるが、なかなか自分と異なるタイプの人たちと出会う機会はないものだ。

ときどき、意図せず自分と違うタイプの人と接触する機会がある。偶然、そういう機会があると、これは貴重な機会だと感じる。

価値観が違う人たちと接すると、「なるほど、そういう考え方もあるのか」と刺激になることが多い。

大学生の頃、友人らと普通自動車免許をとるために山梨県の山奥での合宿に参加したことがある。総じて「学校」というのは、いろんなタイプの人たちを十把一絡じっぱひとからげに同一空間に放り込んでくるものだが、「自動車免許合宿」という空間も、いろんな背景の人たちがひとつの目的のもと共同生活を送る、なかなかのカオス空間だった。

合宿では、民宿のようなところを借り切り、20人前後の男性たちが2週間程度、雑魚寝で寝泊まりするというダイナミックなものだった。だいたいの参加者は大学生ぐらいの年齢だったのだが、結構な年をしたオッサンもいた。そういう一切接点のない人たちと2週間も寝食をともにするというのはなかなか刺激的な体験だった。

自分らと同室になった、東京からきたという大学生の三人組がいた。彼らは自分らとは異なり、いわゆる「陽キャ」だった。いずれもスポーツのできる、それなりのイケメンで、チャラいと表現してもいいぐらいの人たちだった。

彼らとはすぐに仲良くなったのだが、色々と勉強になることがあった。まず、一人は手品が得意で、いろいろな手品を見せてくれた。また、彼らはサッカーも得意で、リフティングなども無限にできるようだった。細かいことは結構昔のことなので忘れてしまったが、要するに、初対面の人間に対して披露できる、いろいろな特技をおのおのが持っていたのだった。

面白かったのが、「いろんなことがまんべんなくできる」というのが彼らの売りポイントだという点だろう。手品も得意とはいえ、たぶん素人にちょっと毛が生えたぐらいのレベルなのだろうが、むしろそのぐらいのレベルが一番盛り上がり、初対面の集団にウケるのである。要するに、一番「盛り上がりやすい」ということだ。

スポーツでも音楽でもなんでもそうなのだが、ある程度のレベルまでのスキルは「モテる」ことに寄与するが、だんだん本格的になり、素人離れしていくと、むしろちょっと引かれてしまい、逆にモテなくなる。

むしろ、「モテそうなレベルのことがなんでも幅広くできる」というのが、真に「モテる」人の行動様式なのだ、ということを知った(「モテたい人」と言い換えてもいいかもしれないが)。

確かに、考えてみると、ガリガリでヒョロヒョロの男性よりは、ガッシリして筋肉質で日焼けしている男性のほうがモテるけれど、24時間筋肉のことを考え、筋トレと食事制限に命をかけているような人は決してモテないだろう。

「モテなくなるアウトのゾーン」は、自分の鍛えている筋肉の部位を余すことなく説明できる、というレベルだと思う。筋肉が好きすぎて、自分の筋肉と話し始めるレベルになると、あまりモテなくなる、と言って間違いないだろう。

【引用】渡辺航「弱虫ペダル(44)」

こういう人が実際にいたら怖いですよね。

「人に見られる」ということを意識していろいろなことに取り組む、という姿勢が新鮮だったのである。まあ、自分はそういう考え方をしたことがなかったので、興味深かった。

もっとも、自分は飲み会もあまり参加しないし、「対集団」で場を盛り上げるスキルを身につけても仕方がないのだが。つまり、自分とは違う志向をもった集団と接すると、違うスキルをもった人たちに出会える、ということだろう。

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