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新聞って、読む意味ありますか?

紙の新聞の発行部数がガンガン減っているらしい。特に朝日新聞などは相当減っているらしく、部数減にともなって営業利益も赤字で、経営は火の車のようだ。

個人的には新聞に特に強い思い入れがあったり、知り合いが働いていたりするわけでもないので、なくなっても別に構わないのだけれど、新聞は「文化の担い手」という側面があるので、そういった面の影響は間接的にあるんだろうなと思っている。

具体的には、新聞社は将棋連盟の主要スポンサーである。最近では新聞社以外のスポンサーも増えてきてはいるものの、新聞社がなくなると、相当将棋界へのダメージが大きいと思われる。その影響でプロの賞金が下がったり、棋戦が減ってしまうことになれば、それは将棋ファンとしては大きな打撃なので、できれば避けてほしい、と思う。

グルメ漫画の代表格である「美味しんぼ」の舞台が新聞社というのは、時代を感じる。山岡士郎という主人公が、新聞の文化面で掲載している「究極のメニュー作り」をやるのが主旨の漫画なのだが、今となっては新聞社でこれをやるというのはちょっとピンとこない感じである。

もっとも、当時としてもテレビ局などのほうがよかったんじゃないか、などとも思うが。もし美味しんぼが今から連載を開始するとしたら、YouTuberなどになるのだろうか。

とにかく、そういった文化を発信するメディアとして、新聞が強かった時代もあったね、ということだ。

僕は「新聞は読んだほうがいい」と考える時期と「全然読まなくてもいい」と考える時期が周期的に訪れる。やはり社会人なので、「社会のことをある程度知っておいたほうがいい」と考えるのが新聞を読む時期である。読まなくても良い時期は「別にそんなもの知らなくても何とかなるよ」と考えるタイミングである。

何かそう考えるきっかけがあるわけではなく、なんとなくそのように考える時期、というだけだが。

と思っていたのだが、「新聞を読まなくなる周期」に入ってかなり経つのだけれど、いまだに読もうかなという気持ちにはなっていない。理由はシンプルで、全く困らないからである。

かつては日経電子版を読んでいたのだが、解約してからかなり経つ。費用は月々4000円ちょっとだったと記憶しているので、そこまで大きい出費というわけでもないが、それなりの金額である。

何より、読むための時間の消費がなかなか馬鹿にならないので、読まなくても生活が成り立つのであればそれに越した事はないと思っている。

新聞の優位性とは何だろうか。よく言われるのが、ネットニュース等と違って、網羅的にニュースを知ることができる、という点である。新聞を読まなくていいという意見の人は「ネットニュースで事足りるから」というのを理由にあげたりしているのだが、個人的にはそもそもネットニュースすらも全然必要としていない。

Yahoo!ニュースなども全然見ないし、ニュースを見ること自体にあまり価値を感じていないのである。強いて言うなら、朝とりあえずNHKをつけるので、そこで主要なニュースはなんとなくチェックしている。ニュース的な情報源は大体それが全てである。それ以上の情報は特に必要としていない。

新聞を読んでいた頃は1面から3面まですべての記事に目を通し、そのうえで気になる記事を読んだりしていた。それだけ読むと大体30分程度がそれに消費される。毎日30分でも、累計するとそれなりの時間になる。

当然記事には数字だったり、いろんな固有名詞が出てきたりするのだが、意外と正確でなくいい加減だったりするし、一回読んだぐらいでは細かいところまで頭に入ってこない。網羅的に把握するメリットがそれほどないのだ。自分に関心のあるトピックであれば、書籍を探して読むことが多いので、そういったところから情報を得ている。

例えば、ウクライナ戦争についてはウクライナ戦争に関する本を先日読んだ。新聞で情報を得るよりも、専門家による書籍のほうが内容も詳しくて面白い。ネットニュースではなく、最近だとウィキペディアの方が色々と詳しいことが書いてあるので、そっちの方が参考になるという事はあるかもしれない。

あとは経済ニュースなどだが、これも新聞で読む必要性をあまり感じない。これもやはり本を読んだほうがいいし、東洋経済オンラインなどのネット記事のほうが紙の新聞より充実しているように思う。

というより、新聞記事の文字量だと、逆に内容が大雑把すぎて不十分なのだ。新聞記事を読んだだけで知りたかったこと全てが知れて満足する人というのはいるのだろうか。

例えばミドリムシを開発しているユーグレナ等の会社が新聞で紹介されていたとして、紙面の知識だけで満足してしまう人って本当にいるのかな、というのが疑問である。自分がある程度詳しい分野では、新聞の書かれている内容が浅く感じる。記者が付け焼き刃の知識で取材をしているとすぐにわかるのだ。

つまり、紙の新聞というのは、速報性・網羅性・専門性どれをとっても現代においては中途半端であるというのが凋落している主要な要因なのだろう。「世の中で起きていることをなんとなく大雑把に聞いたことがあるレベルにする」というのがいまの新聞のような気がしている。

そもそもニュースを僕が全然見ない理由は、速報性を求めていないからだ。重要なニュースであれば繰り返しやるので、普通に生活しているだけでなんとなく耳に入ってくる。むしろ、繰り返し耳に入ってくるニュースが重要だ、と判断する材料になっている。

例外は仕事に関連するニュースだが、これはGoogleアラートに仕事で使うキーワードを登録してあるので、朝に軽く目を通す。でも、自分の仕事に関わるニュースであればすでに知っていることも多いので、それもそんなに役に立っているという感じはしない。

「新聞を読んで何もかもわかったような顔をしているやつ」というのが実は一番厄介かもしれない。まあ、娯楽だと考えれば口を挟む権利はないので、読みたければ別に読むのは構わないと思うのだけれど。どちらかというと「趣味の教養」にカテゴライズされるのかな、と思われる。

そんなざっくりとした教養を身につけるぐらいなら、YouTubeでもいいので、関心あるトピックを深堀りするほうが有益だろう、というのがいまの意見である。

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