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「働きはじめると本が読めなくなる」のは本当か?

「なぜ労働をはじめると本が読めなくなるのか」という本が最近売れているらしい。

なんとなく読む前から内容が想像できるタイトルではあるけれど、結構売れているらしく、興味が湧いたので読んでみようかなと思った。

まだ冒頭を読んだだけなのだけれど、著者は実際に就職をして本が読めなくなってしまったらしい。それまで本好きだったのに。まだ冒頭しか読んでいないが、今日はとりあえずここまでのテーマで考えてみることにする。

個人的な意見ではあるが、働いていてもそれなりに本は読めるけどな、というのが自分の感想。まずここからして少しギャップがある。自分は一応学生時代から読書好きではあるが、大学生の頃のほうが読書量が多かった、ということはないように思う。

やはり電車の中や飛行機など、移動中に読むことが多い。2024年現在は出社することが多いので、電車に乗るというルーティンがあり、おかげで読書は結構はかどっている。むしろ家の中にいるといろいろとやることを思いついてしまい、集中できないことはあるように思う。

自分の場合、学生時代はフランス文学や哲学などを勉強していたので、カミュやサルトルなどの小難しいものばかり読んでいたし、ドストエフスキーなどのやたら長い小説なども読んでいたのであまり読書数は多くなかったような気がする。

そういう意味では、社会人になってからのほうが関心の幅も広がり、読書はむしろ拡充したような感じだ。

流行りのドラマの中で「仕事が忙しくて読書はできないけど、パズドラはできる」といったくだりがあるらしい。自分はパズドラをしないので全く共感できないのだが、そんなものなのか、と思った。パズドラじゃなくても、たとえばネットサーフィンとか、YouTubeとかに置き換えてみればいいということか。

ひとつ仮説を立てるならば、ふだんの仕事は誰かに連絡したりするなど細切れのタスクが多いから、それをやるテンションとパズドラは近いのではないだろうか。仕事の延長でパズドラをやっているようなものだ。正直、そんなものをなぜやるのか、理解に苦しむのだが。

読書はそれなりに集中することが必要だ。自分の場合、読書中はSNSなどの通知を意識しないことが必要である。一時間なら一時間、読書に没頭し、それ以外のことは一切しない。できればトイレにもいかない。そういう環境を整える必要はたしかにあるかも。

読書の醍醐味は「いまの自分に不必要な情報にアクセスできること」だと思う。仕事で必要だったり、生活で必要だったりするものは検索すれば出てくるし、必要なときに身につけられる。しかし、その生き方だと自分に直接的に影響しない情報には永遠にアクセスできない。

本屋や図書館で手にする本は、常に「なんとなく関心のあるテーマではあるが、中身については未知のもの」である。とりあえず読んでみて、使えるかどうかはわからないけど、じんわりと自分の糧となっていく感じ。そういう読書で身に付く知識は、おそらく読んでから10年ぐらい経たないと役立たないのではないだろうか。

仕事をしていると物理的に「忙しい」のもあるが、つねに「細かい成果」に追われ続ける、ということはある。そういう時間軸で生きていると、「10年後に役立つかもしれない情報」なんてのはまだるっこしくて、優先順位的に後回しになるのは当然だろう。

しかし、パズドラをやるぐらいなら、小説を読んだほうがいいとは思う。目的もなく、なんとなく不安だから資格をとろうとする人もいるが、資格勉強からは基本的に何も学べない。そういう習慣の差は、歳をとったときに大きな違いとなって現れるだろう。

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