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心理学を学びたいのは、なんら特別なことではなく

「心理学に興味がある」と言う人は多い。「大学で専攻したいもの」として心理学を選択する、というのもたまに聞く。学生時代、心理学に関連する講義は比較的人気があって、中には希望者過多で抽選などになってしまうものもあり、取るのが大変だったように思う。

僕自身も興味がないこともないが、大学でそれを専攻して学びたいか、というとちょっと違うような気がしている。というのも、この手の分野というのは自分で独学しやすい分野だと思うからだ。

本屋に行けば、いくらでもその類の本が並んでいる。むしろ、ある程度の大きさの本屋で平積みしてあるフィクション以外の本というのは、大半が広義の意味での「心理学に関する本」だと言っていいように思う。

僕も心理学に少し関わる記事を書いたりすると、比較的読まれる傾向にあるようだ。
 
「心理学に興味がある」のはなんら特別ではなく、わりと普遍的なものである、ということだろう。人間は群れで暮らす動物であり、悩みのほとんど(すべてと言っていいぐらい)が人間関係の悩みなのだから、人間心理に関心があるのはむしろ当然のことだと言える。

「人間心理に一切興味がない」という人のほうがレアなのではないだろうか。


 
今までに読んだ本の中で、人間心理を扱った本は多く、これまでも相当な数を読んだと思うが、学問として扱うにはまだあまりにも高度すぎる、というのはあるかもしれない。つまり、自然科学では扱いにくい、きわめてフワッとしたものである、ということだ。

実験や観察を通じて、「こういう傾向があるように思われる」みたいなところが現実の落とし所になっている気がする。それを提唱した学者の名前を冠して「●●効果」とかいったネーミングがついていることもあるが、それはもともと自然界に存在していたものではなく、人間が長年の自然競争の中で「獲得した能力」とみるべきだろう。

目の錯覚や、人間の勘違い、思い込み、感情などもすべて、「そういう能力があったほうが生き残りやすかった」というだけにすぎない。現代社会は、人類がこれまで生活してきた環境とは仕組みが異なるので、それを逆手にとったり、うまく応用したりする余地が生まれるわけだ。
 
人間心理をうまく応用すると、交渉などでそれを生かすことができる。ビジネス系の本では、そういった交渉術の類も多い。しかし、交渉術を駆使して短期的な利益をむしり取るのと、長期的な人間関係を構築して互いに発展していくというのは全く別の行為で、交渉術というのは使い過ぎれば信頼を落とすことにつながるだろう。

交渉事というのは、そもそもなるべく発生させないように、日ごろの人間関係を構築しておくことがとても大事だと思う。


 
人間心理が知りたければ、大学で学ぶのもいいけれど、本屋を買って自分で学ぶこともできる。一番いいのは、周りの人間との人間関係を構築することによって「実践」することだろう。

もちろん、アカデミックな研究がしたい、という場合はこの範疇におさまらないだろうが、多くの人の「ちょっと勉強してみたい」ぐらいのオーダーならば、独学で十分なのでは、と思うのである。

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