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偽札作りはなぜ重罪なのか?

「お金が欲しい」と考える人は多い。お金を手に入れるためには、労働の対価として賃金をもらうのがスタンダードな方法だが、ギャンブルや株取引などでも増やすことができる。

しかし、手っ取り早く、偽札を作ったらどうなるのだろうか。誰しも、「コピー機で紙幣を印刷したらどうなるのだろう?」と、一生に一度は考えたことがあるのではないだろうか。もちろん紙の質感などの問題はあるが、そこさえクリアしてしまえば、そのへんの店で「コピーされた紙幣」は使うことができそうな気がする。

残念ながら答えは「そもそもコピーできない」。市販されているコピー機には、そういった偽札が印刷できないよう、ストッパーがかかっているので、実際にはコピーすることはできず、警察に通報されてしまうらしい。間違っても好奇心でやってはならない。

あまり知られていないことだが、偽札を作る罪はかなり重い。殺人罪は「死刑又は無期若しくは5年以上の懲役」らしいのだが、偽札作りを主導した場合は、「無期または3年以上の懲役」となり、殺人罪と比較しても遜色のない、相当に重い罪だということがわかる。

なぜかというと、偽札を作ることは、国家に対する叛逆だとみなされるからだ。偽札を作ってもいい、ということが一般的に普通のことになってしまうと、国家からしてみれば相当危機的な状況を招くことになる。

殺人というのは、もちろん重い罪ではあるが、個人同士のトラブルの場合、そこまで社会に多大な影響はない。しかし、偽札が普通に流通してしまうと、社会が混乱し、何より「通貨に対する信用」が凋落するため、国家に対するダメージはかなり大きい。

ちなみに、クーデターを試みる「内乱罪」は、内乱行為を先導した人物、つまりリーダーには「死刑または無期禁錮」という非常に重い罰則が設けられている。これは、もちろんダイレクトに国家に対する反逆だから、ということになる。



これらの理屈は、当たり前のような気がするが、よくよく考えてみると結構不思議な話ではある。国家というのは、非常にスケールの大きな枠組みではあるが、「自己に対する攻撃を許さず、組織としての生存を目指している」という点に着目すれば、会社組織などのそのへんの組織と本質は変わらないからだ。

しかし、ここで不思議なポイントは、僕は日本人であり日本という組織に属しているものの、日本で生まれたというだけで、日本という組織に所属することに同意した覚えはない。少なくとも、そういう契約を交わした覚えはなく、物心ついた頃にはその枠組みの中に気づいたらいた、ということだ。

会社組織はもちろん、ヤクザのような組織でさえ、「同意して入る」のが普通だろう。しかし、国家という枠組みは、「同意してもいないのに、気づいたら入っている」のである。

なので、よくよく考えると不思議なことだな、と。

法律に引っかかって裁かれるというのは、もちろん「社会秩序を乱し、決められたルールに違反した」ということなのだけれど、人が作ったルールに人を引っ掛けて裁く、というのはやはりある種の限界がある気もしている。

「組織が組織として存続するために、ルールを作って人を引っ掛けている」という見方もできないだろうか。それが会社なら、社員はやめればいいだけだが、国家がそうであるなら、国民は簡単には辞められない。自分が現在、そういう危険な状態にあるというわけではないが、構造上、危険性をはらんでいるということだ。

また、その理屈でいうと、地球環境破壊など、ダイレクトに地球に損害を与えているケースに対する罰則は、法律による罰則がまだ弱いように感じる。偽札を作ったり、クーデターをくわだてたりすることは、地球環境を破壊するよりも本当に重罪なのですか? ということだ。

社会学者の小熊英二が言っていた言葉で、こういうのがある。「うまくいっているうちはなんの問題も起きない。しかし、よくて現状維持、だんだん下降していくことがわかると、とたんにいろいろな問題が表面化してくる」と。

いまの世界情勢を見ていると、そんなことを考えますね。

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