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自由と不自由、どっちがいいですか?

人は、自由に弱い。

最近よく感じることだ。「自分の好きなように、自由にやってみなさい。」という状況は、なかなか苦しい。このあたりの感覚は、人によって違うのかもしれないけれど。

テレビゲームの、RPGで遊ぶことを考える。ゲームのはじまりは、シナリオがだいたい決まっていて、やるべきことも決まっている。大抵は、なんらかの事件に巻き込まれたり、襲撃されたりするケースが多いだろうか。

そういうひっ迫した状況においては、やるべきことというのは限定されており、迷うことというのはそんなにない。しかし、シナリオが進んでいくと、だんだん自由度があがっていく。

あるとき、「ここから先は自由にやってください」というところがはじまることがある。

そういうとき、あまりの突き放し具合に、ちょっと戸惑うことがある。どこに行けばいいの? と。



人生もちょっとこれに似ている。

生まれたときは自分では何もできないから、親や、その周りの人々に助けられながら生きていく。でも、ある時点から家を出て、幼稚園に行ったり、学校に行ったりしなければならない。

なぜ行く必要があるのか? というのは、あまりちゃんとは説明されない。とにかく行きなさい、と。

小学校、中学校、高校とあがっていくと、その先も進学するかどうかを「選ぶ」ことができる。だけど、まだレールは微妙に残っている。

たいして深い考えもないまま、進学するという人もいるだろう(僕もそうだった)。時間というのは放っておいても勝手に流れていくもので、やがては卒業することになる。そのとき、あらためて唐突に問われる。

ここから先は自由です。どう生きていきますか? と。

まだレールは、あるといえばある。大卒なら、新卒一括採用という制度があるので、それに乗ることもできる(僕ものった)。

でも、その先、数年、あるいは10年ほど経つと、また、新しい問いにぶつかることになる。

やっぱりあなたは自由です。どう生きていきますか? と。

不自由さを選ぶこともできる。自分で決めることが少ないぶん、悩むことも少ない。やるべきことを淡々とこなせば、それなりに生きられる世界。

もちろん思い通りにはいかないし、理不尽な目に遭うこともあるけれど、とりあえずのレールは用意されている。自由を選ぶこともできる。

自分でなんでも決められるぶん、悩みも多い。やるべきことをこなしても、結果はすべて自分の責任。当然ながら思い通りにはいかないし、理不尽な目にも遭う。でも、自由はある。



どっちの人生がいいか? は人それぞれ。正解なんてないのかな、と思う。

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