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逆にいうと思い出しかない

学生時代のことで後悔することがあるとすれば、ちょっとバイトをしすぎたな、ということがある。

バイト先は姉がかつて学生のときに働いていたディスカウントショップで、高校卒業と同時に面接を受けて働きはじめた。

はじめは「働く」ということがどういうことなのか全くわかっていなかったので、仕事がないときは休憩していいのかと思っていた。実際は、仕事がないときでもなんらかの仕事をがんばって探さなければならず、バックヤードで涼んでいてもいい、と言われたことは一度もない。

これはもちろん、当たり前の話ではあるのだけれど。
 
いまだに、仕事関連でしんどかったときのことを思い出そうとすると、どうもこの学生時代のバイトのことが思い出される。立ち仕事だったというのもあるが、とにかく毎日8時間も働くことが苦痛で仕方がなかった。

休みの日は遅番で入ることが多く、午後1時からはじまって、夜の10時に閉店して、業務が終了する。だいたい、7時をすぎると露骨に疲労してきて、8時には限界を感じ、9時にはむしろハイになって、9時45分ぐらいから閉店準備をはじめる。とにかく、7時になってから時間の経過が遅い。やることがなくなると、本当に地獄だ。
 
バイトというだけでこんなにしんどいのだから、社会人になったらどうなるのか、と先が思いやられた。なにしろ、毎日働かなければならないし、しかも労働時間は長く、8時間ぴったりで帰れる保証などどこにもないのだ。

バイトはどんなに忙しくても定時になれば自動的にあがることができたから、それも将来を悲観する要因のひとつだった。


 
だけど、いざ社会人になってみると、逆の現象が起きた。

どう考えても時間が足りないのである。やらなければならないことが山のようにあるのに、全然仕事が片付いていかない。だけどおかげで、「やることがなくて暇だな」と思い煩うことがなくなった。
 
言うまでもなく、なんの責任もない学生のバイト時代よりも、社会人になってからのほうが責任が重く、仕事そのものがしんどくなったのは確かなのだが、バイトをしていたときに感じていた「嫌な感じ」というのは、年々減っていった気がする。

忙しいから社会人のほうがよいか、というと、そんなに単純なものでもなくて、やっぱりある程度は自分で裁量をもって仕事を「まわす」ことができるからこそ、より仕事に対して充実感があったのかな、と思う。


 
そうやって考えていくと、やっぱり学生のバイトというのは、完全に無駄というわけではなかったにせよ、あまり意味はなかったかな、ということを思う。

親が扶養してくれて、高い学費を払って捻出してくれた時間を、バイトの低賃金労働にせっせと変換していたかと思うと、ちょっと切ないものがある。
 
まあ、たくさんの時間を過ごしたから、思い出はそれなりにあるけれども。しかし、言い換えると、自分の中に残っているのは、ほとんど思い出しかない。

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