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コミュニケーション能力は鍛えられるのか?

数ヶ月前に部署異動があり、営業的な仕事をすることになった。これまでのキャリアでは、新規事業開拓が中心だったこともあり、サービス設計や運用設計など、さまざまな業務の一環として営業的なことをやったりはしていたので、やること自体には全く問題はなく、普通に仕事をしている。

正直なところ、営業というのは誰でもできる仕事だと思っていたので、少しモチベーションが下がる思いはあったものの、顧客と対話できるせっかくの機会なので、前向きに取り組もうとは思っている。おそらくこの配置は短期的なものだと見ていることもある(まあ、どうなるかは誰にもわからないが)。

営業の新人教育的なこともやることになり、新人に対して「営業のロールプレイング」というのをやってみた。営業の練習として、こちらを客に見立て、新人に営業をしてもらうのである。

担当する新人は20代の女性で、わりとハキハキしゃべるタイプだったので、はじめてロープレを受けたときはそれなりにいい感じかな、と思った。しかし、設定を細かくして、いろいろと技術的な質問をしていくうちに、かなり違和感を感じる対応となった。最終的には、なかなかこれは厳しいのではないか……、という結論に達した。

説明をするときは非常にハキハキしゃべっているのだが、おそらくしゃべる内容を丸暗記しており、それを読み上げるように話すのだ。なので、説明のときは多少違和感がある程度なのだが、こちらが「会話」を試みようとすると、いまいち成立しないのである。質問をしても、質問に対してうまく答えられないばかりか、質問の意図をうまく理解できていないようだ。そうなると、こちらとしては「人間と会話しているような感じがしない」のである。

そういう新人を見て、営業というのはこれまでなにげなくやってきたことではあるものの、実はかなり奥深いものなのでは、と思い始めた。コミュニケーションの本質とはなんなのか? を考えるうえでは、非常に奥深いテーマである。

コミュニケーションの本質は、「相互的インタラクティブな理解」なのかな、と思っている。つまり、情報を一方的に伝えるのではなく、相手の持っている情報や知識の量、関心に合わせて、話す内容を変化させるのである。

つまり、こちらが相手に情報を伝達するうえでは、「相手のことを理解する」ことが不可欠になる。また、相手がこちらの話についてきているか、というのも気を配らなければならない。話しながら、専門用語を相手が理解できていないようであれば、言葉を言い換えるなどの配慮も必要だ。

当然、相手のレベルが高く、より深い次元でのコミュニケーションが可能であればそうすべきである。要は、相手のレベルに合わせることが必要、ということで、やってみるとそれなりに奥深いんだな、と思ったのである。

実家では、たまに営業電話がかかってくる(父がマイクロ法人を立ち上げたため、実家の電話番号が法人登録されており、電話番号をかぎつけた会社が営業電話をかけてくるのだ)。だいたいは保険の営業などで、もちろん契約はしないのだけれど、そもそも相手が何を言っているのかもわからないときがあり、質問を投げかけても、一向に要領を得ないときがある。なんとも不審な電話なのである。

しかし、営業の新人教育みたいなことをやってみると、そういう事例はもともと台本トークスクリプトなどが用意してあって、それを読み上げてるだけなんだな、ということに気づいた。つまり、営業をかけてきている当人たちも、その商材がなんなのか、深いところまで理解してはいないのだ。

いわゆるチューリングテストにおける、「中国語の部屋」のようなものだろう。

中国語のできない人を部屋に閉じ込め、その人に対して中国語でメッセージのやりとりをする。メッセージに対して、どう応対すればいいかがマニュアルに記載されており、その通りに返すと、あたかも「中国語のやりとりができているように見える」が、実際のところ、それはコミュニケーションは成立していない、というやつである。

自分が他人とコミュニケーションをとるとき、難しさを感じたことはあまりないのだが、自分がなにげなくやっている「コミュニケーションの方法」を他人に教えるとなると難しく、ちょっとした壁を感じている。

「コミュニケーションというのは鍛えることができるものなのか?」という、本質的な問題にぶち当たりつつある。生まれ持ってコミュニケーション能力が高い人が当たり前にやっていることを、そうでない人は後天的に獲得できるのだろうか?

先述した「中国語の部屋」のように、マニュアルをより細かく、分厚くしていけば確かに可能かもしれない。しかし、それは本質的な解決策にはなっていないような気がする。

コミュニケーションの究極は「交渉」だろう。たとえば、孫正義がiPhoneの独占販売権を得るためにスティーブジョブズのもとを訪れた際のコミュニケーションは、どういうものだったのかな、と。営業とは、究極的には、こういうことを可能にすることだろう。


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