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世の中は矛盾していることが前提

20代の同僚で、よく、矛盾した仕事の指示に悩んでいる人がいる。愚痴を聞くと、悩みはだいたいそういう内容である。

しかし、30代ぐらいになってくると、だんだんそういったことでは文句を言わなくなってくる。それは「社畜として飼いならされた」という解釈もあるけれど、自分は、「矛盾が生じるのが仕事の本質」であり、だんだんとそれに気づいていくからではないか、と思っている。
 
世の中は、あらゆることが「こちらを立てればあちらが立たず」で成り立っている。あちらも立たないがこちらも立たない、という状態で、押し引きがなくなり、安定的な状態になってしまう。

難しいことばを使うと、「ナッシュ均衡」というやつである。

なので、世の中は一種の均衡状態であることを自覚したうえで、あらゆる施策を打っていくしかない。相対する物事を同時に進めようとするせいで、指示を受ける側からすると、矛盾があるように感じるのだ。

一番わかりやすいのが政治の世界で、税金で得られたお金をどう配分するか、ということを延々と行っている。経営もそうだろう。儲かったお金をどこに投資するか、というのを常に考えているわけだ。

政治も経営も、お金が無限にあれば、どう配分するかを考える必要はない。逆にいうと、配分は有限なので、必ず誰かはある程度は我慢しなければならない、ということになる。

戦争を起こさないために軍事費を増やす、というのもそうだろう。戦争をなくすために軍事費をゼロにしたら、どれだけ荒廃した世の中になるか、想像してみてほしい。


 
新人でよくあるのが、「仕事で質問があったら聞きに来いと言われるのに、いざ聞きに行くと自分で考えろと言われて追い返されることがある」という不満である。

これは新入社員における恒例行事のようなものだ。このオーダーは、一見すると矛盾しているように感じるが、典型的なトレードオフなのである。簡単な仕事でつまづいて前に進まないと困るので「聞きに来い」というものの、なんでもかんでも教えてしまうと自分で問題解決する力が養われない。なので、聞きに来た新人に対し、「これは教えてやる」「これは自分で考えろ」と「質問を選別」しているわけだ。

そこで、ひねくれた若手だと「矛盾したオーダーを出す無能のクソ上司」みたいにこじれた解釈をしてしまうことがあるのだが、勘のいいひとなら「自分で考えろと言っていること」「教えてくれること」の法則性が見えるようになり、だんだんと本質的な質問ができるようになる。要は、その判断ができる、ということが「成長」だといえると思う。

もっとも、この手のトレードオフは新人時代に限らず、わりと経営層に近いところまで行っても、「新規事業を自前でやるか、どこかに外注するか、どこかの企業を買収するか?」というトレードオフは発生する。その練習だと思えば、そんなに悪いものではない。
 
営業の仕事でも、「仕事をいっぱい取ってこい」と言われているのに、「これ以上仕事をとってくるな」ということを言われたりする。要は、仕事をとってくるとは言っても利益率の低い仕事だったら会社は赤字になるし、まともな仕事であっても、処理しきれないほど持ってこられると会社がパンクしてしまうからである。

急成長している会社は、売上がどんどん上がっているのに現金がなくなってしまい、黒字なのに資金繰りが悪化して倒産してしまうケースもある。これもトレードオフである。
 
要は、世の中は「拮抗するまで状況はせめぎあい、そこで安定してしまう」ものなので、まともに何かをしようとしても、容易に前に進まないことが多い。そのため、俯瞰的に物事を見て、状況判断をすることが必要になる。
 
逆に言うと、「仕事の難しさと面白さ」の本質はそこにあるような気がしている。一見すると拮抗していて、前に進めないトレードオフの世界を、どう打破するか。トレードオフが発生して製品が売れないのなら、ターゲットの年齢層を変えてみるとか、製品にあえて制限をつけてみるとか。

一休さんのとんちの世界ではないが、視点を変え、解釈を新しいものにして、広げていくことが大事なような気がしている。それが最近だとイノベーションだと呼ばれるものだと思う。


 
最近では、そういったトレードオフに遭遇すると、このトレードオフにおける最適解はどこにあるんだろうな、と考えるのが楽しい。それが解くべき問題の問題文だと思えば、前向きに取り組めるような気がする。

世の中は基本的に矛盾しているものなのである。矛盾していることを前提に、あらゆることに向き合いたい。

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