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こんなに便利な世の中でどうやって「アイデアを発想する」のか?

最近何度も書いていることではあるが、事業構想を日々考えている。会社のお金でビジネススクールに通っており、そこの課題で求められているからなのだが、せっかくやるからには本気でやろうと思い、それなりのリソースを割いているので、考えている時間も長い。

なので、noteの記事を考えていても、思考の占める割合が多いため、どうしても入り込んできてしまう。せっかくなので、より思考を深めるために、note記事でも事業構想について考えてみる。

ビジネスアイデアを思いつくのはかなり大変なことである。もうすでに現代社会はそれなりに便利な世の中になっているので、新しいことというのはそうそう思いつかない。でも、そういった満足感とは裏腹に、世の中にはまだまだ新しい製品やサービスが生み出され続けているのだから驚くばかりである。

たとえば、和菓子などのジャンルはものすごく長い歴史がある一方で、使われている要素にそれほどバリエーションがあるわけではない。でも、和菓子をベースにした新しいものというのは生み出され続けているわけで、すごいな、と。

和菓子という限られた領域でも新しいものは常に出ているのだから、対象を「この世界全体」にしたら、何かを思いつかないはずがない。理屈ではそうなるのだが、これがなかなか難しい。

最近は会社の帰りの電車でアイデアを考えることを自分に課している。思いつくかどうかではなく、「とにかく強制的にその時間は発想する」といったことをトレーニングとしてやっている。

やり方はシンプルだ。特定のテーマを決めて、思いつくままにスマホに思考を書き出すのである。たとえば、「ワーケーション」をテーマに30分考えてみる。どういうシチュエーションでワーケーションを利用する人が多いのか、利用しない人はなぜ利用しないのか。そういった発想を起点に、素案を作り上げていく。

まあ、そうやっていると、毎日3〜4個ぐらいは何かを思いつく。すでにやっている人がいたり、凡庸なアイデアだったりしても、とりあえずいまの段階では気にしない。まずは質より量ということで、どんどんやっていく。

たぶん1000個ぐらい凡庸なアイデアを思いつけば、そのうち3つぐらいはまともなものがあるでしょう、という考え方である。このやり方は俗に「せんみつ」などと言ったりするが。

アイデアのことばかり考えていると不思議な気分になる。そもそもアイデアってなんだろう、と。たとえば、起業して有名になった会社のサービスを見てみると、一見するとそこまでイノベーティブに見えなかったりする。

なので、「アイデアは凡庸でも、実行することが大事」ということなのかな、と思っていた。しかし、よくよく考えてみると、「アイデアの中身」というのは企業秘密であることが多そうだ。Webサイトをどうひっくり返しても、外部からは「アイデアの本丸」が見えないようになっているのではないか、と思った。

ほかの会社が本当はどういう仕組みで差別化しているのかなんてなかなかわからない。それこそ、よくよく観察して、見破らなければわからない。大きなアイデアもあれば、小さなアイデアもあるだろう。

小さなアイデアなら、日常業務レベルで実装しているかもしれない。あるいは、小さなアイデアが日々現場で生まれ、実装されていくのが強い会社なのかも。

アイデアとは、問題解決の糸口のことだ、とよく言われる。確かにそうかもしれない。たとえば、ルンバというロボット掃除機がある。あれはある程度サイズが大きいが、だいたい追随してきている他社メーカーも同じぐらいのサイズである。

なので、それを小さくすれば需要があるのではないか? というアイデアはすぐ思いつく。しかし、どうやって小さくするのか? 小さくしても吸引力が変わらない仕組みはどうやって作るのか? というのは簡単に答えが出ない。それを解決するのが真のアイディアである。

まあ、技術的な話になると難しいけれど、自分にわかる範囲でやってくしかないな、と。ときどき生成AIの助けも借りながら、脳に汗をかいて頑張ることにします。

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