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乾いた大地に水をやるように、音楽を聴く

「年間で映画館に行く回数」の平均値はどれぐらいになるのだろう。僕自身は、昔はもっと映画館に行っていた気がするのだが、最近は年に1~2回といったところだろうか。

映画が嫌いというわけではないが、一回見に行くとそれなりにお金と時間がかかるので、なるべく失敗したくない、自分がどうしてもこれだけは映画館で見たい、というものだけになってしまうためだ。

「面白い映画を見たい」よりも、「つまらない映画を見て、お金と時間を無駄にしたくない」という心理が勝ってしまう状況、と言い換えることもできる。

同様に、一年で読む本の冊数は、日本人平均ではだいたい何冊ぐらいになるのだろう。月に一冊も買わない、という人は結構多いのではないだろうか。

これも、先ほどの心理と似ていて、「つまらない本を読んで、お金と時間を無駄にしたくない」という心理が大多数の人に働くのではないだろうか。なので、本屋に大量に平積みされているベストセラー本が売れていくわけである。

しかし、自分は月に10冊ぐらい本を読む。それだけの冊数を読んでいると、「つまらない本」に当たることは避けられない。

実際のところ、「これは面白そうだ」と思って手に取っているものの、だいたい7〜8割ぐらいの本は「つまらない本」である。しかし、僕はもはやつまらない本を読むことは損失ではなく、面白い本に出合うための必要なコストだと割り切っているので、まったく気にならない。

むしろ、2〜3割ぐらいは面白い本なのだから、十分元は取れる、とさえ思う。また、読んでいる最中はつまらないと思っていても、振り返って「読んでおいてよかった」と思うこともあるため、まるっきり無駄にはならない。

最近、めっきり新しい音楽を聴かなくなったな、と思う。まったく何も聞いていないわけではないが、聞いたことのないバンドの聞いたことのない曲をわざわざ聞く機会は減っている。

音楽については、なおさらこの「好みじゃないものを引き当ててしまうコスト」に敏感なのでは、と思う。音楽の本質は「聴いて、気持ちよくなること」だ。音楽の質とは無関係に、昔から聞きなれている曲を聴いたほうが「気持ちよく」なれる。なのでいつしか、人は新しい音楽を聴かなくなってしまう。

最近、作曲する機会が減り、作曲意欲もどうも湧かなくなってしまったのだが、どうもこの「インプットの少なさ」に起因するところが大きいのでは、と思った。本に対してと同じように、「気持ちよくないもの」を引き当てるコストを払ってでも、新しいものをどんどん聞いていく姿勢が大事なのでは、と。

音楽の気持ちよさとは、「音の予測と、それが当たる気持ちよさ」なのかもな、と思った。よく知っている曲なら、リズムやメロディはよく知っているので、ノることができる。しかしはじめての曲だと、完璧にはわからないので、ノるのが難しい場合もある。

好きな音楽は自分のツボを押すので、ますます好きになる。しかし、いったんそこにハマると、抜け出すことができなくなる。なので、「気持ちよくなれない」コストを支払って、新しいものを聴く必要がある。割り切って、新しいものを求めるのだ。

ここ数日、全く聴いたことのないアーティストの曲を、一日2〜3枚ずつ聴いている。幸い、サブスクリプションサービス全盛の時代にあっては、どれだけ「聴き捨て」たとしても、お金はかからないし、聞く音楽がなくなることはない。

なんとなく、乾いた大地に水が染み込んでくるような、そんな気がしている。作曲の依頼も新しく入っているので、少しずつ動き出していこうと思う。

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