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スマートフォンが性格を変える?

何年か前なのだけれど、バングラデシュ関連の仕事をしていた時期がある。その関連でバングラ人を日本に招聘したことがあり、仕事に関係あること・ないことまで含め、いろいろとアテンドしていたのだけれど、あるとき東京駅で電車を待っているときに、ふと質問されたことがあった。「日本人は、なぜ走っているのか」と。
 
あんまり周囲の人が走っている印象はなかったが、あらためて見渡してみると、ほんの少数ではあるが駅を走っている人、というのはいた。走っているのではなく、ちょっと小走りというか、急いでいる感じの人は非常に多く、むしろこちらのほうが大多数に感じる。バングラ人からみると、これが結構奇妙な光景らしい。


 
僕はバングラデシュには仕事で10回ほど行ったことがある。毎回、だいたい2週間ぐらいは滞在していたので、通算でいうと半年ぐらいになっていたのではないだろうか。

そのときの経験を思い出してみると、確かにバングラデシュで「道を走っている人」ってそんなにいないような……、と思った。いわゆるインドなどと同じ地域なので、道端を歩いている人は非常に多いのだが、みんなたむろしているというか、走っているどころか止まっている人が多い。
 
バングラデシュはとにかく道が混雑しており、しかも道路状況も劣悪で、なぜか「信号」が普及していないので、もう交通事情はカオスでやりたい放題である。時間通りに進むことなどまずない。

毎回同じぐらい時間がかかるのかというとそうでもなく、日によって、天気によって、曜日によって、時間帯によって大きく変化する。なので、アポイントをとっても、正確な時間に訪問するのが非常に難しい。
 
一度、ある会社のアポに5時間遅れたことがある。11時に着く予定だったのに、16時近くになってしまったのだ。日本にいると全くそんなことは考えられず、狂気の沙汰ではあるが、バングラデシュでは本当にそういうことが起こるのだ。街中で、一時間以上前に進めない、ということも起きる。
 
ただ、一番驚いたのが、そのときのアポイントは日本人に対して行ったのだけれど、向こうはたいして気にしていなかったことだ。まあそんなこともあるよね、と。時間に厳格な日本人ですらそうなってしまうのだから、そこで生まれ育ったバングラ人にとっては、確かに東京駅の光景は珍しいかもしれない。

現に、バングラデシュの会社では、昼ぐらいになっても道路が混雑しているのでまだ出社していない、という社員も珍しくなかった。


 
今のバングラデシュの状況を思えば、どう頑張っても時間にタイトになることはできないだろう。しかし、それが彼らのペースというか、ライフスタイルなので、それを基準に世の中が回っているわけだ。

逆にいうと、彼らからすると日本はとても息苦しいだろう。一分も違わずに電車が来るのは驚異的なことだとよく言われるが、その時間の正確性が、自分たちにより正確性を強いているような気がする。
 
環境が人を作るという考え方があるが、こういうことについても言えるような気がする。これは良い悪いの問題ではなく、こういったものの積み重ねが価値観を作っていくのかな、と。
 
昭和の時代は、外回りのサラリーマンが喫茶店でサボったりしていた、というのはよく聞くが、いまはスマホがあるので、みんなスマホに縛られている。

もちろんスマホがもたらしたメリットもあるが、デメリットもまたある、と。スマホが性格を歪めることも、またあるだろう。

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