見出し画像

たくさん解いて、ものにする

三か月ぐらい前からはじめた将棋で、強くなるために、詰将棋に取り組んでいる。今までは、朝・昼・晩とオンラインで一局ずつ将棋を指して、ときどき詰将棋をする程度だったのだけれど、最近は朝の対局は控え、詰将棋だけで最低三十分は時間をとるようにしている。 
 
将棋を指さない人にはなんのことかわからないと思うが、詰将棋というのは、将棋のパズルのようなものである。将棋というのは、相手のギョクを詰ますゲームなのだけれど、この「詰ます」という状況がカギになる。

玉を取ればいいとはいっても、「偶然にとれちゃいました」というのは通用しない。「相手がいかなる手を指しても、次の一手で玉を取られてしまう」という状態を「詰み」といい、その状況をつくるのが詰将棋なのである。

よくサザエさんで波平が将棋盤をひろげて一人で何かやっているが、あれは詰将棋をやっているものと推察される。

画像1

最初は、一手動かすだけで相手の玉を詰ませられる「一手詰め」からスタートするが、こちらが指して、相手もそれを受ける手を指して、さらに詰ます一手を指す、という「三手詰め」をやっている(これができるようになったら、五手詰め、七手詰めと増やしていく)。

この場合、こちらが何を指すかはもちろんだけれど、それを受けて「相手がどう動くか」というのを考えなければならないため、一手詰めとはレベルが違ってくる。

特に、相手の受け方にいくつも選択肢があったりすると、どういう分岐をしても詰む、という手を指さなければならないため、難しいのである。自分の動きだけでなく、相手の動きも想定しなければならないところが難しい。
 

詰将棋というのは、考えに考えて、考え抜いた分だけ強くなるものと思っていたが、わりとそうでもないらしい。詰将棋というのは「見える」ものであり、できる人から見れば、「見た瞬間に解ける」というものなのだそうだ。

いま僕がやっているのは「三手詰めハンドブック」という本なのだが、前書きに「なかなか詰まなかったら、解答を見てください」と堂々と書いてある。詰将棋を解くにあたって、たくさん考えることは必要ではあるものの、延々と考え続けるのは時間の無駄らしい。

要は、一定時間経過して、それでも詰まなかったら解答を見る、というルールさえ決めればいい、というわけだ。僕は、詰将棋の問題をパソコンの将棋ソフトに入力して、対局形式で詰将棋を解いている。制限時間を一分間に設定しているので、詰められないか、時間切れになったら負け、というルールで行っている。
 

詰将棋をたくさん解くと、詰みのパターンが見えてくる、ということらしい。実際、何度も解いた問題は、見た瞬間に答えが浮かび上がってくる。

この点は、たとえば受験勉強における数学の勉強に似ているかもしれない。数学のように、論理を扱うものでも、出題のパターンというのは決まっているものなので、数多く問題を解くことによって、そのうち見た瞬間に解けるようになるのと同じだ。
 
大事なのは、「時間を置くこと」なのかな、という気がしている。回答を見た直後は、「できて当たり前」かもしれないが、一日おいた後でもちゃんと解けるかどうか。時間を置くことで、自分の中で論理が咀嚼され、血肉となるような気がしている。

「解く」「時間をおいて解く」ことを繰り返すと、次第に「見える脳」になっていくのかな、と。

サポート費用は、小説 エッセイの資料代に充てます。