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自分で気持ちを立てなおす訓練

仕事が忙しかったので、しばらくあんまり将棋を指していなかった。しかし、指さないと一向に強くならないので、気は進まないけど指すか、ということでオンライン対局をやってみたのだが、立て続けに4局ぐらい負けた。当たり前の話かもしれないが、なんかへこんだ。

将棋を指すことでよくわかるのは、「負けるとへこむ」ということである。将棋は運の要素が全くないゲームで、しかも頭脳戦なので、負けると相手から「お前はアホか」と言われているような気分になる。普通のゲームよりも負けたときの屈辱感が大きい。それがへこむ要因なのだろう。

しかし大人なので、へこんでもしばらくすると元に戻る。別に将棋で負けても特に何か実害があるわけではない、ということに理性が気づいてくれるからだ。

そうやって、へこんだ気持ちを時間をかけて自分でリカバリーしていくのは、それはそれでなんだか気分がいいものである。自分もなんか大人になったな、という気がするからだ。

というわけで気を取り直すと、今度はやたら勝てるようになった。すると、どういう気持ちの変化が起きるかというと、逆に負けるのが怖くなってきたのだ。なんというか、勝って気分のいい状態のまま終わりたい、という欲求が出てくるのである。いわゆる「勝ち逃げしたい」という心理状態だ。

なんだそりゃ、と思われるかもしれないが、根が負けず嫌いなのかなんなのかわからないが、負けたり勝ったりしているとだいたいこういう精神状態になる。将棋を続けていくうちに波は小さくなってきているような気はするが、基本的にはこういう心理である。

理想は、勝っても負けても気持ちに変化を起こさず、淡々と指し続けることである。たくさん指さなくては強くならないので、勝ち負けにこだわらない姿勢が本当は大事だとも言える。

将棋のプロの世界を見ていると、自分が理想とする領域にいる人が多い。勝っても負けてもフラットな感じがする。特にトップ棋士同士ともなると、勝ってもあまり嬉しそうではないし、負けてもそれほど悔しそうではない(もちろん例外はあるが)。多くの場合、表情だけでどっちが勝ったのかはわからないほどだ。

勝負の世界に身を置きすぎて、もはや勝っても負けてもそれほど感情を動かさない術を心得ているのだろうか。いちいち感情を上下させていたら仕事にならないので、そういう精神状態に持っていけるのがプロのすごいところなのかも。

藤井聡太も、結果としては勝っていても内容で押されている将棋は多々あり、そういったときは勝者としてのインタビューに答えているのだが、反省の弁しか語らなかったりする。自分に厳しいというか、勝って手放しで喜ぶ、といったことがない。それぐらいシビアな世界だとも言えるが。

最近、会社でも将棋好きというのが少し浸透してきた。ときどき「趣味は将棋です」と言う機会がある。以前、会社の研修のときに自己紹介でそれを言ったところ、「将棋をやって一番勉強になったことは?」と講師に水を向けられたことがあった。

正直に言うと、将棋と日常生活は大きく異なるので、直接的に参考になるところがあるわけではない。しかし、将棋で悔しく思うことはあっても、あんまり仕事で悔しいと思うことがない。なんというか、もちろん仕事で悔しいと思うべきことはあるのだが、自分以外が要因だったり、運の要素が強いので、自分自身にダメージが少ないのだ。

そういう意味では、仕事のほうがよりフラットな気持ちで取り組めているのかも。また、「勝負強さ」的なところは、少しずつではあるが、鍛えられているのかもしれない。

しかし、物事の進め方というか、戦略的な部分は少し参考になるところはあるかもな、と思った。たとえば、形成が五分五分、あるいはこちらが若干優勢ぐらいの状況であれば、無理をして攻めるのではなく、とにかく不利にならないように慎重に指す。

しかし、こちらの形成が明らかに悪くなったら、そのままだと負けてしまうので、積極的に状況を乱し、ある意味博打を打つ必要がある。要は奇策の類である。相手を混乱させ、チャンスを伺うのだ。ここまで抽象度を上げると、確かに将棋で日常生活に参考になることはあるかも。

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