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「時代」は本屋に置いてある

2021年、僕は本を買わなかった。記録によれば119冊の本を読んだらしいが、そのほぼすべてを図書館で借りて読んだ。

これは意図的なもので、2020年末から2021年始まで、僕は会社を辞めて無職だったので、少しでも出費を抑えたかったのである。その頃、ちょうど引っ越しをして、持っていた本を数百冊単位で売却した、というのも影響している。

せっかく買って持っていた本も、引っ越しのときにスペースやその他の都合でどうせ処分してしまうのなら、はじめから図書館で借りてもいいのではないか、と思ったのである。そもそも、図書館という施設があまりにも便利すぎて、予約をして取り寄せれば、読みたい本のほぼすべてが読める、というのも買わなかった理由としてはある。
 
今年は、自分の中で図書費の予算を立て、多少は本を買うようにしよう、と思った。とりあえず予算としては、月5000円。会社の近くに大型の書店があるので、そこで買うことにした。
 
書籍は、ロングテール・コンテンツの極みみたいな商品だ。商品点数は他の商品の類を見ないほど多いが、メガヒットしているのはほんの一部で、大半がほとんどの人に読まれない。

商品点数の多さはすさまじく、日本語の本だけでも、一生かかっても到底読み切れない。なので、「今、この瞬間に本が出版されなくなっても」読むものには困らない、と言える。


 
本は、大きく「新刊本」と「既刊本」に大別できる。図書館にも新刊本はあるが、人気のある小説などであれば予約者がたくさんいるので、手元に届くまでに時間がかかる。

しかし、もしもお金を出して買うのならば、この「新刊本」こそ買うべきなのではないか、と思った。理由はシンプルで、そうすると出版業界に貢献できる。そして、本屋の維持にも貢献できる。そして、なるべくなら、自己啓発本や薄っぺらいビジネス本を買うのではなく、「新刊の」「小説」を買おう、と思った。
 
小説は「時代」を反映する。実際に売れている小説は、時代を反映しているから売れている、と言える。たとえいまひとつ売れていないものであっても、基本的には「時代をつかまえて、それを表現するために」小説を作っているはずだ。

一年間、図書館の本を読んでみたが、知識は蓄積するものの、「時代」を感じることはあまりなかった。「時代」は、きっと本屋に置いてあるのだろう。


 
ブログの記事は最初すごくたくさん読まれるが、だんだん読まれなくなる。書いて投稿したその日から2、3日ぐらいは読まれるが、一週間も経つとほぼ読まれなくなる。

しかし、それが健全だし、そうあるべきだとも思う。そのときに自分が思ったことを書いているので、書いてからスパンを開けずに読んでもらいたい。そのときに読まれるのが一番いい。その代わり、ずっと記事を書き続ける必要があるが。
 
小説は、ブログの記事のようだ。そこに生きている人を、フィクションで描く。その時代を捕まえているわけだから、その時代に生きている人を書いているはずだ。

それが仮に時代小説であろうと、遠い未来のSFだろうと、本質は変わらない。著者は、時代をつかまえて、「その時代の人に読んでもらいたくて」作品を世に送り出す。その作品を時代背景をメタファーにして、その裏側にある時代を捕まえているはずなのだ。たとえ歴史小説でも、「それをいま書く理由」が存在しているに違いない。
 
また、相変わらず図書館は利用し続けるとは思うけれど、毎月、新刊の小説を買う、ということをやってみたい。どういう変化が自分に訪れるのか、それも楽しみだ。

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