SNSから名作は生まれない?
「SNSから名作は生まれない」という話を聞いた。これまでにSNSで発表されたさまざまなコンテンツのうち、後世に語り継がれるレベルのものはまだ生まれてきていないのだ、という。
セールス的な意味で、「SNSで多くの人が読んだマンガは、必ずしもコミックスの売り上げと連動しない」という意見は聞いたことがあったけれど、そもそも作品自体が後世に残るものではない、という視点ではあまり考えたことがなかったので、新鮮ではあった。
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なぜSNSで人気の作品は、後世に残らないのか。理由はシンプルで、SNSでもてはやされるものは、「時代にフィットしたもの」だからだ。
時代にフィットしたものは、その瞬間はもてはやされるかもしれないが、時流が変われば消えてしまう。普遍性の作品の場合、構造上、「後世まで残る」ものになりえない。
そう思うと、現代は「瞬間」の文化だと思う。時代に遅れてもいけないし、時代を先取ってもいけない。「いま、この瞬間」にフィットするものが評価される。
しかし、「いま、この瞬間」は、次の瞬間には切り替わってしまう。だから、SNSで人気を取り続けるためには、「いま、この瞬間」を綱渡りのように出し続けていく必要がある。
コンテンツがその一瞬一瞬でしか評価されないので、それを出し続ける「人」そのものがコンテンツになるしかない。しかし、そんなコンテンツを発信している張本人も、いつしか「旬」が過ぎて、消えていってしまうのだろう。
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いまはコロナで外国人はあまり来日していないが、そのうち、またたくさんの外国人が日本を訪れるようになると思う。
彼らの目当ては、もちろん「日本の文化」である。しかし、そんな「外国人にも伝わりやすい日本文化」の礎は、間違いなく鎖国をしていた江戸時代に培われたものだと思う。
海外との交流を絶っていた期間に培われた文化が、結果として海外の人々に受け入れられやすいものになる、というのは皮肉だ。しかし考えてみると、どんな作家でも、その作家のコアとなる部分は、作家になる前の経験に依るところが大きいと思う。つまり、真に本質的なものは、「外部からの評価」にさらされないところで培われるといえるのではないか。
noteはどちらかというとSNSの一種だと思うが、確かに、日々記事を書き続けているものの、公開してから24時間以内に閲覧されるものがほとんどで、時間が経つとほとんど読まれなくなる(全く読まれないわけではないが)。
もっと耐久性のあるものを作るとなると、しばらく誰の目にも触れられないところでコツコツと作る必要があるのだろう。自分の場合、小説や作曲などがそれにあたる。こうした作品をつくる時間をもう少し持ちたい。
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