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「モノクロ映え」について

ブログに載せる用の写真としてモノクロ写真を撮り始めて数ヶ月が経った。記事を載せるときに、ただ文章だけを載せるのではなくて、写真付きで載せた方が良いのではないかと突然思い立ち、手持ちの風景写真をいくつか載せたのが始まりだった。

そうやってやりはじめると、手持ちの写真はあっという間に底を尽きたので、新規で写真を撮ってくる必要があった。なので、それから外に出かけるたびに、写真を撮るようになった。
 
読者の方々はもちろん気づいてると思うのだが、写真と記事の内容に連動性はない。写真は気がついたときに撮ったものをストックしてあり、それを順番に使ってるだけだ。なるべく抽象性の高い写真を撮るように心がけている。

それでもたまに、記事の内容を暗示しているかのような組み合わせになることがあって面白いな、と思う。でもそれは、僕が意図しているものではない。

インスタ映えという言葉があるが、あの手の画像レタッチの画像はもう見飽きたし、同時に無個性だと思ったのでモノクロ一辺倒でやっていくことにした。

そういえば、カラーの写真が普及するまでは、芸術作品としての写真はモノクロの写真が主体であり、カラーの写真は芸術作品としては認められないと言う話を聞いたことがある。

もちろん最近はカラーの写真でも芸術性を認められているが、モノクロ写真を中心に撮るようになると、モノクロ写真の抽象性と比較するとカラー写真があまりにも俗っぽいな、と感じる。
 
何が俗っぽいかと言うと、情報量があまりにも多いのだ。ただふつうに写真を撮っただけで、それが説明的なものになってしまう。僕たちは世界を色で認識してるから、カラーの写真を見ると、たちどころにそれがなんだかわかってしまう。

モノクロの写真を見た場合、とっさにはその色合いや質感はわからないから、想像して脳で補完する楽しみが生まれるのだろう。それが写真における芸術性、といえるかもしれない。
 
モノクロの写真ばかり撮っていると、撮る前からどのような印象の写真になるかが想像できるようになった。例えば、夕焼けの写真と言うのはモノクロで表現できない。

空の微妙なグラデーションの具合なんかは、モノクロに加工する段階で消えてしまうのだ。逆に、雲のように陰影がはっきりしていて、形が容易にわかるものだとモノクロにしたときかなり良い被写体となる。

これはインスタ映えじゃなくて、モノクロ映えと呼んでも差し支えないと思う。

カラー写真との違いはまだある。カラー写真の場合、コントラストを強くして影の部分と光が当たってるほどのくっきりさせたほうが写真として見栄えが良くなるが、モノクロ写真でこれをやりすぎてしまうと、情報量がさらに削ぎ落とされてしまって、本当に何が撮影されてるのか分からなくなってしまう。

モノクロ写真の場合、微妙な陰影が必要なので、コントラストはむしろかけないほうが味が出る。
 
今、インスタ映えへと言って写真を撮ってる人たちは、本当にそれが周りと差別化された表現であり、見栄えが良いと言えるだろうか。何か、すごく没個性な感じがするんですけど。本当の「インスタ映え」って、むしろ、誰もインスタに投稿しないような個性的な写真だと思うんですが、いかがでしょうか?

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