クリエイティブとは、頼まれてもいないことを、勝手にやること

クリエイティブとは何か、というのを突き詰めて考えていくと、「誰にも頼まれずに、勝手にやること」だと思っている。誰かに依頼されたことをこなすことは、クリエイティブとは呼べない。

だから、たまに「クリエイティブなことがしたい」と言っているひとがいるが、それはちょっとおかしくて、クリエイティブなことは、「勝手にやること」なので、誰がなんと言おうとやってしまえばいい。誰かに許可を得てやることではないのだ。
 
僕は作曲が趣味だが、たまに人から楽曲制作の依頼を受けることがある。依頼してくる側も、僕がどういう曲を作るのか、知っているケースがほとんどなので、あまり注文はないのだけれど、たまに「こういう曲を書いてください」と言われることもある。

もちろん、依頼された場合はそのようにするが、その条件を満たすだけでは面白くないので、いろいろとオリジナルの要素を加える。言われたことをこなすだけ、ではいかにも作業的で面白くないからだ。

たいていは、頼まれていないのに、こちらから提案をする。「言われた通りのことをやると、こういうものができます。でも、依頼された内容からは外れますが、たとえばこういうのはどうですか?」と。「たとえばこういうの」の部分は、頼まれていないので、エクストラな作業になるわけだ。

でも、真剣にやりたくてやっていることなので、質としてはけっこう高いものができることが多い。だから、結果的に「エクストラでやった作業」のほうが採用されることがけっこうある。


 
頼まれていないものを作る、というのはエクストラな作業になるので、採用されなければ無駄になる。でも、無駄になってもいい、という気持ちで余った時間を使っていろいろ試行錯誤してみる。これこそがクリエイティブな姿勢だ、と思う。

こういうところに文章を書くこともそうだ。誰に頼まれているわけでもないが、書きたいから書いている。
 
普通の仕事でも、「通常の工程だとこうなるけれど、こういうふうに変えたらいいのにな」と思うことはたくさんある。でも、通常業務は、与えられたミッションをこなすことを目標にしているので、エクストラな提案は通常業務の中には含まれないことが多い。考えるほうも、形になるまではそれがちゃんとした形になるか確証がないので、正式な仕事として組み込みたくない、というのもあるだろう。

だから、クリエイティブというのは、本質的に「余剰」なものなのだ。カツカツの生活をしていたら、とてもそんな「余剰」なんてものは生まれないから、クリエイティブになることはそもそも難しい。


 
クリエイティブな生き方をするのは楽しいが、「これからクリエイティブになろう」としている人は、こういう点を意識してみればいいのではないかと思う。頼まれてもいないことを、許可を得ずに作ってしまう。

とはいえ、本当にクリエイティブな人は、人から頼まれる前に勝手にやってしまうものなので、いま現在クリエイティブなマインドがない時点で、向いていない可能性も大いにあるのだけれど。

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