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いまの自分をゼロとする

たまに自分が考えるテーマとして、「メンタルが強い人」がある。

よくエリートは「メンタルが脆い」と言われる。メンタルそのものが脆弱というよりは、エリート街道まっしぐらの人は挫折の経験が少ないので、挫折に弱い、というイメージだろうか。小さい頃から競争ごとで負けたことがなく、周囲からちやほやされていたりするとそうなってしまうのではないかと思う。

挫折感とはなんだろうか。定義について考えてみると、「周囲からの期待や、自分自身に対する期待のギャップ」と定義できるだろうか。

ちなみに、僕は実際のエリートはそんなにメンタルは脆くないと思っている。能力が高ければそれ相応に難易度の高いことが要求され、次第に本人の手に負えない領域に突入していくので、どこかで挫折は経験する。いわゆるわかりやすいエリートではない、事業で成功している人などであれば、むしろ普通の人よりもはるかに強いメンタルを持っていると思う。

例えばベンチャー企業を立ち上げた人なんていうのは、メンタルは本当に強い人が多い。よく例に挙げてしまうのだが、サイバーエージェントの藤田晋や、DeNAの南場智子などは本当に強いだろう。揉まれてる量が半端ではなく、まさに百戦錬磨という感じである。

世の中では、失敗しない人なんているわけがないので、「どれだけ失敗に慣れたか」がカギだと思う。しなやかさという意味の「レジリエンス」という言葉が流行っているが、挫折をたとえ経験したとしても、どれだけ素早く立ち上がれるか、その立ち直りの速さが評価の対象になりつつある。

実際にビジネスの現場に出てみると、下っ端はもちろんのこと、出世してもボコボコに叩かれるものなので、社会に出たら必ず叩かれるぐらいに思ってまず間違いはない。課長は部長に、部長は社長に、社長は会長に、そして株主や顧客に叩かれている。

では、メンタルを鍛えるにはどういう方法が考えられるだろうか。メンタルを鍛えるというと、「滝行」「護摩行」みたいな修行のようなものを思い浮かべるが、実際にはこんなことをしてもあまり意味はないと思われる。

シンプルに自分に痛みを与えることで、それに対して没頭することができ、メンタルを崩す要因から一時的に逃れられるみたいな現実逃避の効果はあるかもしれない。

これはあくまで想像なので、もしかしたら滝行などをやりまくることによって霊的なパワーが身に付いて、メンタルが強くなるという効能があるのかもしれないが、僕は基本的にはないと思っている。

ちなみに、僕はとある事情から滝行を経験したことがあるのだが、確かにしんどかった。でも、それでメンタルが強くなったかというと、それはまた別の問題な気がしている。感覚としては洗濯機の中に入るみたいなものなので、清潔になって、スッキリした、みたいなものは感想としてあった。

自己肯定感というワードはあまり好きではないが、自己肯定感の高い人は、メンタルが強い傾向にあると思う。あまり他人に否定されても気にならないタイプの人であれば、それは強いだろう。

結局、物事がうまくいかないとき、何がつらいのかを突き詰めていくと、自分はこんなにもできないやつだったのかと気づくのがつらい、というところに収斂することに最近気がついた。要は、自分が求められていることや、自分が自分に対して期待していることに対してうまく応えられない、そのギャップがつらい要素の根源なのではないかと思った。

だから多くの人は、自分の能力が低いことと向き合うことから逃げ、環境のせいにしたり、特定の誰かのせいにしたりする。しかし、そんなふうに責任を転嫁しても、あまり得られるものはないので、その考え方は悪手だということがわかる。

ひとつの良い考え方として、やや抽象的になるが、「今の自分をゼロと捉える」といいのではないか、と思った。「できる」とか「できない」で表現するのではなく、今の自分の状態をとりあえず「ゼロ」と定義してみる。

たとえば、自分に求められていることが「100」だとしたら、今の自分が「マイナス100」なのではなく、今の自分の状態が「ゼロ」で、「100の状態」を目指さなければならない、と考えてみる。

結局、言っている事は同じなのだが、自分のことをマイナスだと捉えてしまうと、なかなかしんどいのではないかと思う。結論すると「自己肯定感を高める」みたいな意味合いになってしまうのだが、とにかく「今の状態を正確に把握し、そこをゼロとする」というところがポイントなのではないかと思う。

現状を正しく認識した上で、自分が向かうべき状態がなんなのかを考え直し、そこに向かうためには何をしなければならないかを考える。そういう考え方が建設的なような気がしている。

今の自分の状態をゼロと定義してみるということは、とりあえず今の自分の状態を受け入れるということである。

まあ、「できない自分」がいてもいいじゃないか。今がゼロなので、そこに何かを足していくだけでしょう、と。

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