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断捨離ではなく、そもそも買わない

普段は在宅勤務で働くことが多いのだが、仕事で使っているデスクを徹底的に片付けてみた。

マメに片付けをするタイプではないので、放っておくと際限なく散らかり、デスクのうえに地層のようなものが誕生してしまう。なのでちょっと気合を入れて、休みの日に2時間ぐらいかけて掃除をした。

当たり前だがきれいなデスクは気持ちがいい。特に仕事のデスクが整頓されているとよけいなストレスが減り、勤労意欲が増す。なので、普段からクリアデスクを心がけたいと思っているのだが、これが維持できるかどうかはわからない。

心理学用語で「割れ窓理論」というものがある。廃墟となった建物で窓ガラスが1枚割れているのを放置すると、そこは「窓ガラスが割れても気にしない地域」という共通認識となり、急速にスラム化が進むらしい。

デスクにおいても似たようなことが言える。少しぐらい汚れてもいいやと放置しておくと、それが発端となり、たちまち荒れ果ててしまう。なので、割れ窓理論を念頭に置いて、普段から完璧に整頓することを心がけたい。

どうなるかはわからないが、心がけるだけならタダである。

いざ整理整頓しようとするとき、考えるべきことはシンプルだ。まず「いるもの」と「いらないもの」の2つに分ける。「いらないもの」はさらに分類していき、どう処分するかを考える。

問題は、「いるもの」の分類である。「いるもの」をどう解釈していくか。スマホやパソコンなど、毎日使うものはもちろん取っておくのだが、たまにしか使わないようなものをどうするかというのが整理整頓のポイントになる。

「もしかしたら、いらないかもしれないな……」とちょっとでも思ったなら、迷わず捨てた方が良いというのが自分の考え方である。少なくとも、それを使うのがイメージできない場合は捨ててしまった方が良い。

消耗品等で残り3分の1ぐらいを残しているものは、「まだ残っているから」と取っておきたくなるが、本当に必要なものだったらまた買うわけだし、それをまた使う場面がイメージしにくいのであれば捨ててしまった方が良いのでは、と思う。

少なくとも、散らかった場所で放置されていたのであれば、それまで必要とされていなかったわけだから、不要と考えて問題はないだろう。

悲しいのは、一度も使わないままここまで来てしまったものたちである。僕は最近Amazonでほとんどの買い物を済ませるので、時々衝動買いしてしまったものや、こちらが意図していたのと違うものを買ってしまい、返品もままならなくなって放置されたものが出土されてくることがある。

例えば、健康器具として足首に巻くアンクルウェイトを買ったのだが、間違ってめちゃめちゃ重いやつを買ってしまい、普通に歩くだけでブリキのロボットみたいになってしまうものが家に届いてしまった。それでも使ってみようかと思っていたのだが、いまはランニングの習慣がついたので、完全に不要となってしまった。

半年ほど前に購入したものの、どうしようかと処理に困り、机の上に放置していたのだが、いよいよ捨てる決心がついたのでほとんど使わないまま我が家から消えていった。奥さんも同様に間違って買ってしまったものがあり、数年寝室に放置していたものがあったのだが、同じタイミングでいよいよ捨てる決心がついた。

その子たちは誰かに使われるために生まれてきたのに、我が家に来てしまったばっかりに、まったく活用されることなく、処理に困って放置され、挙句捨てられるという悲しい運命をたどることになってしまった。自分のお金が無駄になったという悲しみもあるし、使われるはずだったものたちが正しく使われずにお亡くなりになってしまうという悲しみもあり、結構ダブルで辛いのである。

直近では使わないけれど一応取っておきたい、みたいなものがある。代表的なものが工具だろう。ドライバーセットなどは確かに普段は使わないが、時々使う場面はあるので、とっておいた方が良い。

そういったものの収納をどうするかという問題があるが、独身時代にある方法を思いつき、画期的な方法だと自画自賛していたことがある。

「普段は使わないが取っておきたいもの」を、引っ越し用ぐらいの大きさの段ボールに放り込み、そのまま押し入れにぶち込むのである。ただ、段ボールに放り込む前にiPhoneで写真を撮影しておく。そして専用のアルバムを作っておき、「この段ボールの中にはこれが入ってますよ」という簡易的なカタログにする。

そうすると、ものそのものは雑多に段ボールに放り込んであるのだが、その箱の中に何が入ってるのかはiPhoneの画像アルバムを見れば参照できる。「あれはどこにあったかな」と段ボールを引っ張り出してくる手間が省ける。

このやり方はかなり画期的で、昔はそのようにしてどうでもいいものを保管していた。その「雑多にものを放り込む段ボール」は独身時代に2個あったのだが、結局使わないものは永遠に使わないことがわかり、不要なものをため込んでいたとも言える。が、なかなか悪くない方法だと今でも思っている。

不要なものを捨てる経験を重ねるにつれ、年々ものを買う行為に慎重になってきている。何か欲しいなと思っても半年ぐらい悩むのはザラで、中には2〜3年悩むものもある。

超高価なもので悩むのではなく、せいぜい1万円ぐらいのものでもそれぐらいの期間悩む。結婚してからは奥さんに「買おうかな」と3回ぐらい話題に出し、それで買うかどうか、というレベルである。お金がないわけではなく、使いもしないものを買うのが嫌なのだ。

流行り言葉で「断捨離」という言葉があるが、究極は捨てるより前に、必要最低限のものしか買わないことである。世の中は「すぐ買え、いま買え、たくさん買え」と煽る広告ばかりなので、煽られているといくらお金があっても足りない。

自分としては、たとえ機会損失が生じたとしても「買いたいと思った瞬間」と「実際に買うまでの瞬間」に一定の期間を設け、衝動買いを減らすようにしたい。

「買いたい」と思ってから、一ヶ月後でもまだ欲しいと思っていたら、それは本当に欲しいものかもしれない。どうだろうか。

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