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「その人らしさ」ってなんですか?

奥さんの昔からの友人からLINEがきて、「私らしさってなんだと思う?」と質問されたらしい。奥さんはそれを見た瞬間、「難しい」と言っていた。たしかに。当人はなにやら自己啓発系のYouTubeを見て気になったらしい。なるほど。

少し考えてみたものの、「その人らしさ」なんてわからない、ということだった。確かに「その人らしさ」ってうまく言語化できない。

これについて少し考えてみた。

他人について、「その人らしさ」を語ろうとしてもなかなかうまくいかない。しかし、「自分らしさ」を語る人はいる。たとえば、自分らしい仕事とか、自分らしい服、みたいな。

それは本当に他人からみてもその人らしいかはわからないが、その人が理想としている自分を体現したときに、そういう意見になるのかもしれない。つまり自分の中に「これが本当の自分だ」というモデルがあり、それに合致していたら「自分らしい」ということになる。

少し考えてみて、その人らしさというのは単に見た目だけの問題ではなく、「行動」を伴うことで見えてくるものなのでは、と思った。「行動」がその人らしさを表現する。普段その人がどういう行動をとっているかがその人らしさそのものだ。もしかしたら本人ですら気づいていない場合があるかもしれない。

たとえば、コンビニでおにぎりを買ってきて、食べてもらう。どのおにぎりを買うのか。袋はもらうのか、もらわないのか。支払方法は何か。どの組み合わせ、どの順番から食べるのか。どうやって食べるのか。等々。そういった何気ない行動の積み重ねで、その人らしさはにじんでくるのだと思う。



つまり、行動から何か新しいものが見えてくるというよりは、行動パターンそのものといえる。同条件のときにその人はどういう行動をとるか。なので、「自分らしさ」「その人らしさ」は感想ではなくて、実際の行動ベースで観測される「行動の傾向」だということが言える。

言動、発言もそうだろう。その人が発するであろう発言の枠があり、それに合致していれば「その人らしい」。外れていれば「らしくない」。後者は、たとえば感情が乱れていたり、特別な思い入れがあったりすると「らしくなくなる」ということである。「らしくない」ことがわかるということは「らしさ」は共通認識として定義されている、ということになる。

自分が認識する「自分らしさ」と、他人から認識される「その人らしさ」には、おそらくギャップがあるのだろう。むしろ他人からの認識のほうがバイアスがかかっていなくて正確な場合もあるかも。でもいきなり「私らしさってなに?」と他人に聞いてみても、つかみどころがなくて「うーん」となるだろう。

普通に生活している自分の様子をiPhoneのカメラで撮影する、とかのほうが発見が多いかもしれない。客観的に自分を見る、というのはとても怖いことではあるが。

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