神様を信じますか?

直接言われたことは(おそらく)ないが、「あなたは神を信じますか」と言ってくる人たちがいるらしい。いうまでもなく、特定の宗教に勧誘してくるタイプの人々だ。

いまさらだけれど、このセリフはちょっとおかしいな、と思う。「信じるかどうか」がキーになっているからだ。つまり、神がいる、ということは実証できない、だから断言もできない、ということなのだろう。

実在するという証拠はないわけだから、「信じる」か「信じない」かがポイントになる、というわけだ。本当に神がいると信じているのならば、「信じますか」なんて控えめな表現にとどめず、「神はいます」と断言したほうが効率がいいと思うが、いかがだろうか(おそらくそういうふうに主張しているタイプの人々もいるのだろうが、やっぱり証拠をもってこないことにはなんともいえない)。
 
神の存在を信じたとしても、その人たちが提唱している「物語」をまるごと信じるか、と言われると、それはまた別なような気がする。

たとえば、2002年にアメリカで同時多発テロがあって、そのことは研究され尽くしているはずだが、いまだに陰謀論などを唱える人々もいるし、いろんな説に分かれている。現代において発生した事件ですら意見が割れるのだから、2000年以上前に実在したとされる人物がいたとか、その復活を信じるかとか、そんなことを言われてもなかなか即答はできないはずだ。

それこそ、明確な証拠がないわけだから、結論は「信じるのか、信じないのか」というところに終着する。仮に神を信じていたとしても、いわゆる宗教の教義が定義するものが絶対的に正しいかどうか、どうやって立証すればよいというのか。

立証できないからこそ、さまざまな解釈が生まれ、宗教はどんどん分派していくのだろう。自分たちに都合のよい物語を構築していくわけだ。


 
僕は特別に神の存在を意識したことはないが、この世界がここに存在していることはかなり不思議だと思う。

「自分」は単なる人類の個体にすぎないので、「自分」という存在に不思議さを感じたことはないが、この「世界」が存在しているのはかなり不思議だ。宇宙の創生も謎で満ち溢れている。突然何もないところに空間が生まれ、さまざまな物質がそこから生まれたんだ、と言われても、「本当にそんなことがありうるの?」と率直に思う。

でも、それよりも不思議なのは、この世界は巧妙な物理法則のバランスで成り立っている、という事実だ。物理学などの自然科学を発明したのは、もちろん人類ではない。もともとそこにあったものを確認して、法則にしているだけだ。「誰か」はわからないが、その法則やらなにやらを設計した「人」がいるのだろう(高確率で、「人」の形はしていないと思うが)。

どうやってそんなことを成し遂げたのかは、まったく想像することもできない。
 
宇宙広しといえど、地球以外に生命がいたという観測は(いまのところ)なされていないので、地球の生命体はかなり高度に文明が発達しているほうだろう。神が設計した(らしい)この世界を、宇宙規模でみたら、我々人類は、それなりに解明できているほうではないだろうか。せっかく作ったのに、誰にも解明されなかったら神様もちょっと可哀想なので、いいことだな、と思う。


 
少なくとも、「神を信じますか」とやっている人々よりは、実験をして、科学的なアプローチで宇宙の謎に迫っている人たちのほうが、神の設計した世界をより深く理解しているに違いない。それは、「信じるか、信じないか」の世界ではない。実証して、証拠とともに実際に確認しているものだからだ。
 
もしかしたら、神様の気まぐれで、これまで確認してきたものが全部通用しない、ということになったりするのかもしれないけれど。

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