なぜ戦争が起きるのか

「戦争はよくない、平和がなにより大事」だということを主張している人たちはあまり好きではない。理由は簡単で、そんなことは誰にでもわかりきったことだからだ。もちろん、戦争を肯定しているわけではない。

そもそも、そのへんの人たちに「平和が大事」と訴えかけても、戦争など起こせる立場にない。戦争は、一般市民が起こすわけではないのだ。

じゃあ、独裁者にでも訴えかけたらいいのかというと、独裁者だって戦争が悲惨な結果を生むことは当然知っている。わかってやっているのだ。戦争が悲惨だということを知らない独裁者がいたらむしろ顔が見てみたい。
 
平和というのは相対的な概念だ。「健康」に少し似ている。「病気」や「怪我」などの異常事態があるから「健康」が定義できる。「平和」というのは、言い換えると「戦争がない状態」と言えるだろうか。
 
戦争というのは、「外交」のひとつの形態である。通常、外務省などが他国と交渉をする際は、話し合いによって、お互いの利益を譲歩しあい、合意形成をする。

これを話し合いではなく、暴力によって相手に要求をのませるのが戦争だ。ただ単に人が殺したいからやっているわけではない。


 
日本は基本的に平和な場所だ。なぜなら、日常生活や仕事などで、なんらかの折衝が発生したとき、暴力によって一方的に言うことを聞かされることは原則としてない。

もちろんゼロではないかもしれないが、具体的な暴力が発生した場合は、警察などの機関が取り締まりをしてくれる。

昔、北九州を拠点にしていた工藤會という暴力団があり、ショバ代の支払いを拒否した健康センターに殺鼠剤を投げ込んだりしていた。そのほかにも、住民に対する暴力が絶えなかったため、工藤會は徹底的に警察にマークされ、組長が死刑宣告を受けた。

このように、暴力団に対する締め付けは年々強まっており、相対的に日本は「平和」により近づいているように思う。


 
しかし、これは「暴力団を締め出す」という住民の合意形成があり、かつ警察がちゃんと機能しているからの結果であって、日本の国力が劇的に弱まり、警察よりも麻薬組織のほうが力をもつような事態になってしまうと、平和ではなくなる。

つまり、平和というのは、「世の中が円滑にまわっている状態」をつくったうえで、はじめて実現できるのものなのでは、という仮説が立てられる。
 
いまでいうと、ロシアに対する世界的な経済制裁が続いており、その余波を受けて食品などの値上がりが続いている。しかし、「暴力で交渉を解決する」というロシアの行動を制限し、かつ同じようなことを企んでいる人々を牽制するためにはこの値上げが起きている状態に耐えるしかないのかな、と。

感情論では平和は実現しないように思う。平和な社会をつくるためには、そもそも地球上に人口が多すぎるのでは、という気もする。

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