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もしも市役所が2つあったら、どうしますか?

ソ連時代の社会主義国家がうまく機能しなかったのは当然よく知られている。純粋な社会主義国家は競争原理がないため、皆あくせく働いたりしなくなる、という結果を得た壮大な社会実験だった。なので、資本主義社会の最大の美点は「競争原理が働くこと」なのかもしれない。

当たり前かもしれないが考えてみると結構面白いことに、どんな業界にも必ず複数の会社がいる。1社だけで全てを牛耳っている業界はなかなかない。独禁法などの法律はあるにしても、多くの場合は自然な競争原理だけで2・3社ぐらいに絞り込まれるのが面白い。

例えばヤマト運輸に対する佐川急便とか。Microsoftに対するAppleとか。大体上位2〜3社が非常に強くて、その他はそれほどパワーがないのでアイディアで小規模に勝負する、みたいな感じである。

しかし、マクロな視点で見ると、同じようなものが複数あるのは無駄でしかない。すき家で牛丼が食べられるのに、吉野家でも牛丼を提供していたら重複しているし、同じ街に牛丼屋は2つもいらない、それよりカレー屋を増やしてほしい、みたいな考え方だってあるだろう。

しかし今の社会では当たり前のように吉野家とすき家が同じ街に出店したりしている。ユーザー側から見れば、確かに似たようなものが重複して提供されているのだが、それらは何とか相手を出し抜こうと競争しているので、結果的に良いサービスが生まれ、その恩恵を享受することができる。

やっている当人たちは大変なのだが、ユーザーとしては競争してくれた方がありがたいというわけだ。いま僕が所属してるのはIT企業なので、この競争は結構一般の業界よりも厳しめなのではないかと思う。

なぜなら、インターネット空間は「距離」という概念がないので、だれでも、どんなサービスにでも一瞬でアクセスすることができてしまう。ライバルが強力なサービスを展開しはじめると、すぐにそちらに流れていってしまう。

なので相手よりも少しでも劣ったところがあるとそれだけで選ばれないという厳しさがある。もちろんゼロでは無いものの、かなり熾烈な争いと言って間違いないだろう。

競争のないサービスはこの世にあるのだろうか。たとえば公務員、自治体のサービスはどうだろうか。

自治体はその地域において1つしかなく、いわば独占企業である。しかし市役所が例えば2つあってどちらか選ぶことができたとしたらどうなるだろうか。それぞれの市役所が管轄している施設が街の中に2つずつある、ということである。

例えば図書館などの施設も2つある。だが、片方の街に登録していると、もう片方の図書館は利用することができない。そうなれば図書館同士で競争が生まれて、より良いサービスを提供しようと躍起になるだろう。

蔵書の多さはもちろん、ネット予約が凄まじくやりやすいとか、頼んでおいた本が一瞬で納品されるとか。しかし当然ながら、同じ街に2つも図書館を設置するのは莫大な税金の無駄である。同じものが同じ地域に2つある必要は無いからだ。

しかし前述のように、たとえば牛丼屋、銀行、コーヒーショップなど、同じ地域に重複して出店しているお店は数多くある。ということは、別に図書館が2つあったとしても、得られるメリットと比較すると、それほど悪いことではないのかもしれない。

今話題になっている「ふるさと納税」は、自治体に対する住民税の納税でありながら、そういった競争を促している。今は競争原理が働いて、勝つ自治体と負ける自治体が出てきているので、いろんな議論が起きているものの、もともと競争のなかったところに競争を作り出したというのは凄いことだと思う。

渦中にいる人たちは大変かもしれないが、それによって工夫し、発展したことも大いにあるのではないだろうか。いきなり競争に放り込まれたので、反発も大きいかもしれないが、社会主義国家がうまくいかなかったように、独占して膠着してしまう弊害のほうが大きいかもしれない。

競争は無駄が多い。また、やっている本人たちは大変である。しかし、一般ユーザにとっては明らかにプラスだし、長期的に見れば全体の発展に寄与する。発展することによって組織も新陳代謝が進み、腐敗しないことを思えば、意外と競争のコストって安いのかもとも思える。

少なくとも純粋な形での社会主義国家というのは今ではほとんどなくて、資本主義の原理を利用した国家がほとんどであることを考えると、ベストではないにせよベターな考え方なのだろう。

最終的には法律が県ごとに違って、税金も違うとか、そういうのが理想的な形になるのだろうか。アメリカなどはそうである。そこまでいくとちょっと大変だと思うのだけれど、なかなか面白い考え方ではある。


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やひろ
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