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嘘の才能

そんなにたくさんは嘘をつかずに生きてきたような気がするが、それは僕が正直者だというよりは、単純に嘘をつくのがあまり得意でないからだろう。

よく、映画の展開などで、序盤になんらかの嘘をついてそれを隠し通す、みたいな展開あるけれど、ああ言うのを見ていると、神経削るからああいう状態は嫌だな、と思ってしまう。例えば、主人公が経歴詐称している、というのが展開としてよくある。

もちろん、嘘を最後まで隠し通せるわけがなく、映画の途中でバレて散々な目に遭ったりするのだが、だったら最初から嘘なんてつかなければいいのに、と思ってしまう。
 
嘘をつくのはなかなか頭を使う。子どもはけっこう簡単に嘘をつくが、後先考えずにつくので、すぐにバレる。大人の嘘つきは、嘘をつくことで矛盾を感じさせないように辻褄を合わせないといけないから、なかなか大変だ。

世間の「嘘つき」に対する印象は非常に悪いので、リスクが大きい。単に能力がなかったり、性格がだらしないぐらいだったら済むような問題でも、虚偽をかたっている場合はそれだけで問題になったりする。

だから、まともな大人は嘘なんかつかないだろう、と思う。ある程度の年齢以上になると、日常的に嘘をつく人の存在はほとんど目にすることがなくなる。


 
ただ、嘘にもいろんな種類がある。私利私欲のためにつく嘘は論外だが、事を荒立てないためにつく嘘もある。また、本当のことを言っても理解してもらえなさそうなときに、仕方なくつく嘘もあるだろう。

よく子どもが「大人は嘘つきだ」というが、子どもに対して、納得のいく説明というのは難しいので、適当にお茶を濁したりするために嘘をついているだけかもしれない。あるいは、複雑すぎる説明を端折って、わかりやすい説明にするためにつく嘘もあるかもしれない。世の中にはいろんな嘘がある。


 
フィクションって「いい嘘」のことだよな、ということを考えたこともあった。SFなどがその代表的なもので、SFの世界観を構成する論理に矛盾があると、読者は本気で批判してくる。「その嘘をつく分には構わないが、その嘘が成立するためにこういう矛盾がある」ということを指摘してくるわけだ。

ということは、読者は嘘をつかれたい、綺麗な嘘で騙されたい、と願っている、ということになる。ディズニーランドに人々がこぞっていくのも、「綺麗な嘘で騙されたい」からだろう。あのテーマパークにいるあいだは、テーマパークを運営している従業員もそういったそぶりを見せずに、自分を騙してくれ、と思っているわけだ。そう考えると、嘘というのもそんなに悪いものでもないかもしれない。
 
嘘というのは基本的には悪いものだが、最後まで突き通す嘘なら、もはやそれは嘘とは呼べないかもしれない。……しかしそれにしたって、神経削るから、なるべく嘘をつかないで済むように生きたいものだけれど。

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