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また新聞を読み始めた

また新聞を読み始めた。

そんなの知らんわ、という声が多数聞こえてきそうなのだが、ちょうど一年ほど前に、「新聞なんか読まない」という記事を書いていたのである。

そのときのスタンスが変化した、ということだけはお伝えしておきたい(誰にだ)。

僕はここにいろんな持論を書き散らかしているが、あくまで「そのとき」考えていることであり、考えが変化することはある。

また、矛盾した、別々の考えを同時に持っていることも多い。それでも、そのとき自分の考えを言語化しておくことは大事だと思う。

もはや、自分でもどこになにを書いたかなどは思い出せないので、自分のブログにキーワード検索をかけて探したりもする。自分の思考のメモ帳になっている気がする。

さて、新聞である。新型コロナウィルスによる激震が世界をはしり、まさに「緊急事態」に突入したので、なかば強制的に新聞を読むことが社内で推奨された。

なので、仕方なく……という感じで読み始めたのだが、やっぱり新聞で得られる情報も大事だな、と思うようになった。

新型コロナウィルスが流行したことで、一番自分で変化したのは、ツイッターをあまり見なくなったことだ。

一時期は、ツイッターを見ていると気が滅入ってきたので、「ツイッター離れ」をしていた。いまでは、投稿頻度も一日一回投稿するかどうかというレベルになってきていて、人のツイートなどもあまり見なくなった。

ブログやnoteのほうが更新頻度が高い、というありさまである。タイムラインを見ていると、信憑性の測りかねる情報が次々に入ってくるので鬱陶しいのだ。

よく「情報の洪水」という言葉が使われるが、そういう感じではない。「濁流」というか、ノイズそのものに思える。

信憑性のわからない大量の情報は、もはや個人にとっては情報とは呼べないと思う。そんなものに身を浸していても、得られるものはおそらくそれほどない。
 
新聞記事に寄稿しているコメンテーターや、委員会の記事などは、今まで「うさんくさい」と思って敬遠していたのだが、一周回って、けっこうまともなことを言ってるんだな、と思うようになった。

新聞の個々の記事はネットでも手に入るが、世界の動きをどう見るか、これからの世界をどう分析するか、は専門家の意見を参考にすると、より遠くまで見通せる。

別に、100%鵜呑みにする必要はなく、「参考」にすればいいのだ。新聞にコメントを寄せる人は間違いなく頭のいい人たちなのだから(頭の悪い人の発想)、その意見を参考にしない手はない。

なので、僕は日経新聞の1面、総合面、コメンテーターの寄稿などを中心に読んでいる。個々の記事は、まあ、それほど深くは追っていない。自分の業界に関連しているところは追っているけれど、そういう、目的のはっきりしている情報はネットのほうが強い。

あと、いまさら、日経電子版デビューをした。同僚はほぼ全員が日経電子版だったのだが、ずっと紙で通してきたのだが、ためしにやってみたところ、こっちのほうが読むスピードが早いし、コスパもいいということで採用した。evernoteと連携できる点も魅力だ。
 
激動の時代ほど、「オールドメディア」の重要性がわかるのかもしれない。手早く最新情報を手に入れられるネットニュースもいいですが、日経新聞も悪くないですよ。
 
何年後かに、正反対のことを言っているかもしれませんが、とりあえずはこんな感じで……。

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