文系と理系の会話はなぜ噛み合わないのか
文系・理系という分け方にあまり大きな意味を感じないが、思考のアプローチの違いという観点で整理できるように思う。少し、文系と理系の違いについて考えてみる。
文系は、複雑なことを複雑なまま考える人たちだと思う。一方、理系は複雑なことを単純化して考える。
たとえば、生き物の情報を収集して、百科事典を作ろうと考えるのが文系。生き物の情報から、身体の特徴などを分類して、「生物における原理原則」を考えようとするのが理系。
文系の人は事例集を作ろうとするが、理系の人は法則を見出そうとする。成果のボリュームが、文系の人たちは大きいが、理系の人たちはシンプルになる。物事のアプローチを見ていると、そういう違いを感じる。
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複雑なことを複雑なまま扱うことに長けている人は、女性に多い気がする。日常生活における「複雑なこと」の最たるものは、人同士のコミュニケーションだろう。女性たちのあいだで繰り広げられる複雑な心理戦、バトルは、男性には高度すぎて、そもそもバトルが起きているという事実すら認識できない(認識できないことが原因で、またトラブルが生じたりもする)。
人間心理というのは非常に複雑で、いろんな要素が入り混じっているので、それを理系的なアプローチで解きほぐすのは人類にはまだ早いようだ。
たまたまネットで見かけたこちらの夫婦の会話。
" ――この間、家に帰ったら、妻が見慣れないスカートをはいていた。新しいのかなぁと思って、「それ、いつ買ったの?」と聞いたら、妻がむっとしたように「安かったから」と答えた。うちではよくある展開で、質問への答えが永久に返ってこないし、会話も弾まない。あれは、どうしたことでしょうか。"
夫は「いつ買ったのか(when)」を聞いているのに、妻は「安かったから(why)」を答える。
一見するとちぐはぐなのだが、妻は、夫が「いつ買ったのか」と聞いているということは、買ったことを咎めているのかと解釈して、whyを返しているのだろう。しかし、夫はたぶん純粋にwhenが知りたかっただけだと思うので、会話がおかしくなるのだと思う。
まあ、こういうことは全国津々浦々の家庭で起きているに違いない。もうちょっと深堀をすれば、「夫のいうことは基本的に文字通り受け取ればいいんだな」ということに気づけるのかもしれないが。
人とのコミュニケーションは複雑すぎるので、「直感的に」わかるしかない。スピーチやプレゼンテーション、文章作成能力は、ある意味一方向のコミュニケーションなので後天的に技術を身につけることができるが、本当の意味でのコミュニケーションは、生まれつきの能力に依るところが大きい気がしている。
では理系の人は分が悪いのかというともちろんそんなことはなく、この世界は理系の人たちが動かしている。複雑なことを単純化することに長けた理系の人たちは、単純なことと単純なことを組み合わせて応用することができるので、結果としてとんでもなく複雑なことを扱うことができる。
数学と物理と化学の力を使って、僕たちの日常生活は成り立っている。しかし、「人間」のような、曖昧で複雑なものを解明するには、まだ現代科学が追いついていない、というだけだろう。究極的には、人間心理のすべての「原理原則」を解明できたら、心理のすべてを解明することができる日がくるかもしれない。そのときは、その秘密を知った者が世界を洗脳し切っているかもしれないが。
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真に理屈っぽい人は、たぶん複雑すぎるコミュニケーションを放棄する傾向にあるように思う。対面よりも、スマホ越しのチャットのほうがコミュニケーションをとりやすい人がいるのは、そのほうが情報量が少なく、「文字通り受け取ってくれればいいですよ」ということだからだ。
たとえば、「気にしないでもいいよ」という単純な言葉でも、そのときの表情によって全く違う意味に受け取れてしまう。まあ、苦手だからといって、そういったコミュニケーションを放棄し続けていると、あとでとんでもないしっぺ返しを食うかもしれないのだけれど。
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