見出し画像

学歴には賞味期限がある

最近、転職をしたのだけれど、いまの会社はかなりの人が名前を知っているサービスを展開している企業で、一般的な知名度は高い。転職エージェントを使って転職をしたのだが、エージェントによれば、知名度の高さから倍率はかなり高い、ということだった。

いまいるチームは出来立てということもあり、僕のほかにも採用を強化しているのだが、上司が面接でバンバン落としているため、いまだに最終選考に進む人もいない。もう10人以上は落としているのではないだろうか。
 
そんな会社に、それなりに好待遇(前職比)で潜り込めたのは、能力や経歴が会社の求めているものに合致していたからだ、と思う。他にもエージェント経由でいくつか書類を提出したのだけれど、書類だけで落とされてしまったケースがかなりあった。

新卒のときと違って、「優秀か、そうでないか」といった単純なファクターだけで採用が進まないところが、キャリア採用の面白いところである。
 
よく、学歴に関する話題で、学歴は必要なのか、いい学歴を持っていたら人生はイージーになるのか、といったものがある。僕自身は、愛知県のよくわからない二流の私大を出ていて、学歴は全く大したことがない。学校自体もわりと新しく、歴史があるということもないので、学歴のアドバンテージはほぼ皆無に等しい。「一応、大卒である」ぐらいだろうか。
 
一応、そんなよくわからない学歴ながら、そこそこレベルの高い会社に入ることができたので、学歴は関係ない、というような感じがする。しかし、ここが学歴の面白いところで、僕は学歴そのものはけっこう重要だと思う。ただ、学歴には「有効期間」があって、賞味期限がある、というのが最近の理解だ。


 
20代前半の、まだ仕事で特にこれといった実績のないうちは、「いい大学を出ていること」が「実績」として評価されるだろう。だから、学歴がある人とない人では、ある人のほうが会社から期待され、より責任の強い難しい仕事がまわってくる。

だが、アドバンテージでいうとその程度だろう。30歳にもなれば、学歴よりも、もっとシビアに「20代で何をしたのか」が問われる。どんなに有名で難関の大学を出ていても、20代に下働きのようなものしかさせてもらっていないと、評価のされ方が変わってしまう。履歴書を書いても、「あれ?」となってしまうのだ。

優秀な人事ほど「経歴の自然さ」を見るものだから、「出ている大学にふさわしい仕事をしたかどうか」を見るのである。そこでうまく説明がつながらないと、ステップアップすることはかなわないだろう。
 
極端な話、いまの日本ではたいして働かなくても「生きていく」ことはできる。バイトでも、人手不足だから働ける場所はあるし、最悪、生活保護という手もあるだろう。だから、仕事が全てというつもりもないし、生きてさえいればそれでいい、という人のことを否定するつもりはない。

でも、より難しい仕事を、充実感をもって取り組んでいきたい場合は、仕事を通じてステップアップすることができるかどうか、にかかっていると思う。


 
ちなみに、僕の場合は、たいした大学を出ていなかったので、新卒のときは一般的に学生への知名度が高くない、中小企業に潜り込んだ。新卒の採用人数自体があまり多くはなかったので、わりと入社してすぐに大きな仕事を任せられるようになり、そこでいろんな経験を積むことができた。戦略的にやったわけではないものの、それが評価されていまがあるのだから、何よりである。
 
同僚の中でも、もしかしたら僕が一番学歴が低いのではないだろうか。でも、それが気になったことはない。重要なのは、階段を登っていくことで、年齢相応の経験を積むことが重要だ、と思うのである。

サポート費用は、小説 エッセイの資料代に充てます。