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片っ端から忘れていっても

一日に自分が読んでいる文字量ってどのぐらいなのかな、と思った。

もちろん仕事ではメールを読んだり書いたりするのがメインだから、それだけでもかなりの量にはなるのだけれど、プライベートでも、時間さえあれば文字を読んでいる。

本は読書メーターというサービスに登録しているので、自分がどのぐらいのペースで何を読んでいるのか、というのが記録されている。年間で読む本は120冊前後で、年によって変動するけれど、ここ10年ほどの記録の蓄積から、一日に読むページ数は平均すると100ページぐらいだということがわかっている。

最近は日経新聞などもそれなりにしっかり読んでいる。日経新聞は一面から三面までは全部の記事に目を通し、投資のページまでは、大見出しの記事をひとつずつ読む。あとは関心のある記事に目を通す。

夕刊は、一面から三面まで全部の記事を読み(スポーツ記事を除く)、あとは関心のある記事を読む。日経新聞は電子版をスマホで読んでいるのだが、一度、自分がどれぐらいの文字量を読んでいるのか気になって計算したところ、だいたい新聞だけで4万字ぐらいの文字を読んでいることがわかった。

改行や文字組みなどにもよるが、だいたい文庫本でいうと80~100ページぐらいに相当するようだ。主に通勤の電車の中で読んでいる。電車だけでは足りない場合は、家でも読んでいる。
 
それに加えて、noteやブログ、巡回するサイトがいくつかあるのでそれも読む。そこの文字量は日によって変わるけれど、それでも50ページぐらいはあるのかな。

それだけの文字を読んで、すべて記憶していられるのか、というと、当然ながらそんなことはない。片っ端から忘れていく。

固有名詞というのは覚えづらいので、読んだそばから忘れていく。また、僕は昔から数字を記憶しておくのが苦手なので、これもどんどん忘れていく。

でも不思議なもので、読んだ本の装丁やタイトル、記事の見出しなどを見ると、ぼんやりと、どういう内容だったのかを思い出すことができる。また、かなりしばらく経ってから、全然違う記事を読んでいるときに、「そういえば、似たような記事を以前に読んだことがあったな」と、記憶と記憶が結合される瞬間がある。これがけっこう面白い。

もちろん、忘れ去られたまま永遠に思い出すことのない記憶だってある。でも、何回か出てくるトピックについては、「最近、このトピックをよく目にするな。だから重要なんだろう」という具合に、あとから関心が高まってくることもある。

だいたい、世の中の出来事というのは突然起きるものではなくて、「予兆」があるものだ。毎日ニュースをチェックしていると、ニュースの「流れ」がわかるようになる。

本当に関心深いタイミングがわかる、というのもセンスだと思うので、たまに同僚が会社の会議などで取り上げるニューストピックを聞いただけで、なんとなく、普段ニュースに目を通していないんだな、ということがわかったりする。
 
このスタイルが本当に確立したのはごく最近のことなのだけれど、これは自分の性格にとても合っていると思っている。もともと、かなり大雑把な性格なので、どんどん読んで、どんどん忘れるのが良いと思っている。

ひとつひとつの情報を精読して、記憶していくタイプの人がいて、もちろんそういう読み方も間違ってはいないと思うのだけれど、自分とはあまり意見が合わないことが多い。どうしても、視野狭窄に感じてしまう。

なるべく広い情報を大雑把に捉えるほうが、より正確に世の中を見渡すことができる、と自分は信じている。特定の情報を精読すると、視点が少ないため、特定の思考に偏りやすくなる。

ただ、自分の場合は、こういうブログやnote記事を思考の整理のために使っているので、効率が高まっている面もある。本を読んだりして考えたことはエッセイとしてまとめる。

最近、noteで読んだニュース記事をコメントとともに貼り付けるようなことをしているが、これも、関心あるトピックを記憶に留めるための工夫だ。いざというときに取り出しやすくしているのである。
 
情報とどう触れ合うか。人それぞれのやり方がある。自分は、毎日、大量の情報を読んで、どんどん忘れていく。ただ、それを自分のことばで文章にして、みんなに読んでもらっている。それが気持ちいい。

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