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未来予測をするためには……

未来は予測できない、とよく言われる。いろんな人が未来予測をしているが、ことごとく外れている。昔作られたSF映画なども、現実になったものもあるが、実現していない発明品はたくさんあるし、スマホなどのように、そもそもSF映画ではあまり登場しないようなものも多い。

日本のスーパーコンピューターである「富嶽」が、コロナが一番大変だったときに、口から出る飛沫のシミュレーションを計算したのが一時期話題になった。

こういったものが詳細にシミュレーションできるようになったのはスゴイが、スパコンみたいな大掛かりな装置を使って、「飛沫の予測」ぐらいのことしかできないのか、みたいな声もあったように思う。

しかし、精密にシミュレーションするというのは非常に難しく、「これぐらい」といいつつも、スパコンのようなものを使わなければ、精度の高い予測はできない、ということなのだろう。

この世界は「複雑系」である。

さまざまな要素が複雑に絡まり合っているため、その結果の分岐は天文学的なものになる。よく将棋の複雑さを表現する例として、1局面あたりに有効な指し手が5通りあるとしたら、1手読むごとに5の累乗で読まなければならない手が増えていく。なので、完璧に読み切ることは不可能で、どれだけ強い人でも「勝負勘」を駆使して戦うことになる。それが面白さである。

複雑系の面白さを手っ取り早く感じるために、僕がよく引き合いに出すのは、「二重振り子」である。

ひとつの振り子の先にもうひとつの振り子をつけただけの装置だが、たったこれだけのことで、ふたつの要素が混じり合い、とんでもなく複雑な挙動を示す。

これも、コンピューターシミュレーションを行うこと自体は可能だが、ほんのちょっとした初期位置の違いや、その場の空気、摩擦などが影響するので、コンピューターの中でシミュレーションはできても、現実の振り子の30秒後の正確な状態を予測するのは極めて困難だと思われる。

これだけシンプルな振り子でさえそうなのだから、正確な未来予測は絶対に不可能だと言い切れる。株式市場なども複雑系だが、株価が上がるか下がるかは市場の心理みたいなものに大きく左右され、正確に予測することはできない。

しかし、だからといって、「未来が予測できないのだから、未来予測などするべきではない」というのは短絡的すぎる。例に出した二重振り子の話でいくと、たしかに振り子の正確な挙動を予測するのは困難である。

しかし、予想できることが全くないわけではない。たとえば、二重振り子の長さ以上の場所に振り子の先が行くことはないだろう。また、この振り子が動くのは長くてもせいぜい数分で、10分以上動く、ということも考えにくいはずだ。なので、「正確に予測すること」が難しくても、「予測できること」というのはあるのである。

天気予報もこれに近い。天気予報は、年々精度が上がっていってはいるものの、それでもよく外す。しかし、外すからといって、全く役に立たないわけではない。

業界予想も、細かい予想は難しいが、この分野は確実にそうなる、と言えることはあるだろう。たとえば、出版業界の売れ行きが今後どのように推移するのかはかなり予測が難しい。たとえば、2100年代の人々は本を読むのか? というと、かなりイメージがしにくい。

しかし、たとえば紙の本は年々減少し、電子書籍に置き換わっているように、「紙を印刷する」という形での書籍は減っていくことはあっても増えることはないだろう。このように、やはり予測をすること自体は可能である。

重要なのは、「抽象的に物事を捉えること」だと思う。抽象度をあげれば、未来はある程度予測できる。具体的なものが予測できないからといって、そこで思考停止してしまうことのないようにしたい。

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