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著名YouTuberは「一般人」ですか?

少し前の話題だが、YouTuberのHIKAKINが結婚した際、「一般の方と結婚しました!」という発表をしたことにより、若干炎上していた。「お前も一般人やろ」と突っ込んだ人が多数いたのである。

HIKAKINはチャンネル登録者1000万人を超えるYouTuberなので、著名な存在ではある。たぶんかなりの日本人がその名前を認知していると思われるので、「HIKAKINが一般人は無理がある」等々、いろんな反論があり、一瞬ネットが盛り上がっていた。

自分個人の意見としては、この発言は別に本人が自分は著名だということが言いたかったわけではなく、単に結婚相手は一般に名前を公表していない人ですよ、という意味で言ったにすぎないと思うので、なんとも的外れだなと思っていた。

しかし、いまの時代において「一般人とは何か?」を考えるひとつのきっかけにはなった。

SNSの普及によって本当にただの一般人が著名になるケースが出てきたので、昨今の「一般人」の定義は揺らいでいる。本業はただの会社員だが、実はSNSのフォロワーが10万人います、という人もそこそこいるのではないだろうか。

そもそも「一般人」の対義語は何になるのだろうか。著名人、有名人、あたりだろうか。有名であるというだけなら、その人に何か特殊な能力がなくても有名な人はいる。

YouTuberはその人がどれだけ有名であったとしても、基本的にはなめられてるんだろうな、と思う。なんというか、視聴者からすると友達みたいな感覚なのだろう。認知レベルでは、学校での有名人レベルというか。単に名前を知られているというだけで、いわゆるアスリートなどとはまた違う。

サッカー日本代表とYouTuberでは、名前が同じぐらい知られていたとしても、人々からの尊敬の度合いは違うだろう。どれだけ登録者がいても、YouTuberは能力的には「普通の人」だよね、と思われているわけである。

「HIKAKINは一般人だろ」と主張する派は、「HIKAKINにはなんら特別な能力はなく、特別な地位についているわけでもない」ということを言っているのだろう。

当然ながら人気商売なのでお金はたくさん儲けているとは思うが、実業家というわけではないので、基本的にはお金を儲けることとビジネスが拡大することは無関係である。

一応、「公人」「私人」という言葉はある。公人というのは、政治家や公務員など、公的な人ということで、私人とは区別される。しかし、このへんの境も昨今はかなりあいまいにはなっている、ということだ。

一般人かどうかという区別については、その人がどのぐらいの権力を持っているのか、というのがわかりやすい指標になりそうだ。当然ながら、権力を持っている人のほうが社会に与える影響が大きいからである。

例えば総理大臣や日銀総裁と比較して登録者1000万人のYouTuberはどれぐらい影響力があるのか? という話になると、「ほぼ影響力はない」と言わざるを得ない。これはどれだけ有名になっても同じことだと思う。広告塔などにはなれても、実質的にはなんの権限もない。

最近の出来事だと、松本人志などもお笑い界のドンといわれ、常にテレビに出演していたけれど、いなくなったらいなくなったでさして影響はなかった、という声もある。

柳井正とか、孫正義とか、そういうレベルの経済界のボスはどうだろうか。厳密には公人とは言えないまでも、経済界に影響を与えるパワーを持っている。そもそも、そうなってくると単に「有名かどうか」ってそれほど意味がないんだな、ということもわかる。

というわけで、どこまでいってもYouTuberは有名人ではあっても「一般人」の枠から出ないだろう、というのが自分の意見である。

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