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散歩中に考える、宇宙のこと
ここ一年ほど、ほぼ毎日、歩くことを日課にしている。在宅勤務の日は、出社する奥さんを駅まで見送る。お互い在宅の日は、近所の公園まで散歩する。
うちの近所には割合大きな公園があって、そこを歩くのが結構楽しみだったりする。ちょっとした林みたいなものがあって、森林浴というほどではないが、殺風景な通勤路では味わえない自然を感じることができる。
いまの時期だと、ちょっとした紅葉も見られる。なかなかきれいだ。
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散歩中は(散歩中に限らないのだが)結構突飛なことを考える。心身ともにリラックスして、身体を動かしていると、発想が飛びがちになるのだろう。
先日、散歩中に、公園の景色を見ながら、ちょっと宇宙のことを考えていた。ふだん屋根のある建物の中で生活しているため、あらためて外に出ると、空がダイレクトに宇宙空間に繋がってるのってすごいよな、と思ったりする。
何万光年も離れた星の光とかが地球には届いているわけだけれど、その途方もない距離のあいだ、光を遮るものが何もないってすごいな、と。地球上であれば、建物や山などがあって、数十キロも遠くは見渡せない。宇宙って、人間が想像しているよりもはるかにスカスカである。
よくある話題として、「地球外生命体はいるのか? いないのか?」といったことが議論されることがある。が、宇宙のスカスカ具合を見ると、生物どころか「物質」さえまともにないのが宇宙という空間だ。気が遠くなるほど巨大な天体なども存在はするものの、それ以外の大多数の空間は茫漠としている。
たまに、「現実世界は、神様が鑑賞するために作り出されたシミュレーション空間だ」という仮説を見たりもするが、もしそうだとしたら、もうちょっとやりようはあるよな、と思う。観賞用として現実世界があるのなら、少なくとも太陽系の惑星にはそれぞれ高等生物を配置して、宇宙戦争とかをやってもらいたいところだ。
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「宇宙人はいるのだろうか」という議論のときに想像される「宇宙人」って、要は人型の生命体で、コミュニケーションが成立する、ぐらいのレベルの知能を有したものだと思う。
そういったものがいるかどうかはわからないが、たとえばプランクトンや植物みたいなものだったら、普通に宇宙のどこかにはいるんじゃないかな、というような気がする。地球では、そのへんにあるちょっとした土の中にも、何兆というレベルで微生物がいるので、仮に地球だけにしか生命がいないとしたら、逆にちょっと地球にいすぎではないだろうか、という感じもする。
なので、微生物とかそういうレベルも「宇宙人」に含むのであれば、地球外にもいると考えるのが自然だ。
ちょっとそこから発展させると、環境問題というのもどういうことなんだろうな、と思う。自然が破壊され、多くの生物が死んだとしても、別にすべての生物が死に絶えるわけではないだろう。なので、「環境問題」の本質は、別に自然はどうでもよくて、究極のところは「人間にとっての環境」「人間にとって都合がいい」ということを言い換えているだけなのかも。
環境問題が起きることによって、「人間が暮らしにくくなること」が問題の本質なのだ。
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散歩中に考えるにしてはやたらと壮大な気もするが、日常生活から離れた時間であれば、これぐらい壮大でもいいような気がする。家に帰れば、また日常生活のことについて考えるのだから。
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