見出し画像

なにを奇跡と呼ぶか

中学・高校ぐらいまでの数学ではわりとサラッと流されてしまう「確率」の概念だけれど、これは数学の中でも、結構「本丸」のような気がしている。というのも、この世界は「確率」に支配された世界だからだ。社会に出てからは特にそう思う。科学などのアカデミックな世界でもそうだろう。
 
現実世界では100%確実に起きることなんてないし、逆に0%、絶対起きないと言うこともない。「絶対」は、神の世界にしかない。森羅万象は、確率の幅の中で何かが発生したり、しなかったりする。

頭の中ではこれが理解できていても、感覚的にはなかなか理解しづらいものがある。だから、確率については、数学の力を借りれば見えてくる世界もあるな、と思う。

例えば、「奇跡」の確率とは、大体どれぐらいの確率のことをさすだろうか。一般的にいう奇跡とは、せいぜい1割ぐらいの確率のような気がする。いや、もしかしたらもっと高いかも。1%の確率ということになると、奇跡というよりはもうほぼ起こり得ないこと、とみなされるかもしれない。
 
1%の確率で起きることを100回繰り返しても、100%にはならない。これは、真面目に数学の授業を受けていた人なら誰でもわかるだろう。計算してみると、1%の確率で起きることを「100回」繰り返すと、全部外す確率は「36%」になる。結構外れるんですね。

逆に、「69回」やれば、全部外れる確率が約「50%」なので、五分五分ということになる。言い換えると、「1%の奇跡」と言うのは、「69回」挑戦すれば、イーブンにまで持ち込めるのだ。
 
確率の世界にはまだ先がある。回数をもうちょっと増やしてみる。1%の確率で起きることを200回やると、1回も当たらない確率は13%。つまり、成功確率が9割近くまで跳ね上がる。さらに回数を増やして、「458回」やれば、「99%の確率」で、「1回は当たる」ということになる。
 
確率の世界は不思議だ。どんなに確率が低くても、それがゼロではない限り、挑戦回数を増やせば増やすほど、当たる確率がどんどん上がっていく。1%なんて日常生活においてはかなりの奇跡だと思うが、「458回」やる覚悟があれば、「99%の確率で成功する」ことが数学的に導ける。
 
2、3回失敗したら大抵の人はそれで心が折れてしまって、やる気をなくしてしまい、こんなことをどれだけ続けても何も変わらないと思ってしまいがちだが、失敗すればするほど成功の確率が上がっていくのだと思えば少しはやる気が出ないだろうか(そしてそれは数学的に真実だ)。

ダイソンは掃除機のプロトタイプを作るのに5126回失敗したとか、エジソンは電球を発明するまでに10,000回失敗したとか、偉人たちの失敗した回数、挑戦した回数というのは、桁違いに凄まじいものがある。

もっと興味深い確率の数字を出してみる。仮に80年ちょっと生きたとしたら、人生は約30,000日だ。30,000日生きると、色々なことが人生で起きるだろう。「人生に1回だけ、99%の確率で起きる」、奇跡の中の奇跡だが、人生に1回だけ、ほぼ確実に訪れる確率はどれぐらいだろうか?
 
答えは「0.014%」。「0.014%」の確率で起きることが、80年ちょっと生きれば、人生に99%の確率で起きる。
 
ほとんど無視してもいいぐらいの、ノイズのような小さな数字だが、80年生きていれば99%の確率で起きる、そう考えると確率って恐ろしくありませんか? それは交通事故かもしれないし、宝くじかもしれない。素敵な人に巡り会える確率かもしれない。それを怖いと思うか、楽しいと思うかは、あなた次第ですね。

サポート費用は、小説 エッセイの資料代に充てます。