最終的には素人になる
大学生の頃は、アルバイトしか就労経験がなかったので、会社というものがどういう組織で、どういう能力をもった人々が働いているのか、といったことは全然わからない状態で仕事をしていた。
もちろん社員の中にもいろんな階層の人がいるということを知ってはいたのだが、どういう能力の人々がいるのか、といったことについては理解が及んでいなかった。僕はディスカウントショップで働いていたので、上司としてまず社員がおり、その上に「売り場長」というポジションの人がいて、そのさらに上に店長がいる、それぐらいの事しかわからなかった。
基本的に自分より社員の方が知識量が上なので、商品知識などでわからない事があれば社員に聞く、という方針で仕事をしていた。しかし、社員の上司、たとえば店長がどの程度の知識を持っているか、といったことはよく知らなかった。
しかし社会人になって仕事をしていくうちに、実は末端の現場の社員が一番現場のことをよく知っている、という考えてみたら当たり前のことに気がついた。
会社で出世し、課長や部長となっていくと、現場からは離れていくことになる。すると、裁量はどんどん大きくなっていくのに、現場の知識には疎い、という奇妙な状況が発生する。
ごくたまに社長にプレゼンをするような機会もあるのだが、社長に対して何かの提言をするという行為は、ほとんど「素人」に対して何かを言うことに近い。まず背景としてこういう事情があって、それに対してこういうことをします。と、素人に説明するのと同じ手順で説明しなければならない。
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社長というのはある意味で本当に素人である、とあらためて自覚している。もちろん叩き上げで社長になった人であれば現場の長年の経験があり、例外的に現場のことがわかるという人もいるかもしれないが、それにしたって時代の流れというものがあるので、本当に現場で働いてる人よりは知識は少ない。逆に言うと、末端の平社員は、担当している業務範囲では知識量では社内で一番であり、当然ながら上司よりもたくさんの知識を持っているということになる。
出世をして経営者に近づいていくうえで、一番大変なところがこの部分なのかな、と思っている。担当者であれば、自分の関わっているプロジェクトのことだけを把握していればいいが、裁量が大きくなると、自分がこれまで関わったことのないプロジェクトについても把握しなければならない。
社長ともなれば、会社で進行しているすべてのプロジェクトを把握しなければならない。しかし現実的に末端の細かい部分までは理解できないので、最終的には「誰か」に任せることになる。
詳細がわからないことを誰かに任せることほど大変なことってあるだろうか。最終的には「信頼できる人を見極め、任せる」というところに行き着く。会社経営は理論的に行われる部分と、そうやって理屈以外の「信頼」とかそういったフワッとしたものによって行われる部分がある。もしかしたら、理屈では片付かないことのほうが多いかもしれない。
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一番手早く出世し、組織の重要ポジションに就くための条件は、技術に詳しくなることでも、数字的な結果を出すことでもなく、「上司から信頼される人になる」というのが一番だということになる。会社員生活では、数字を上げることが一番のように思われがちだが、抽象的でありつつも一番重要なのが「信頼される」ということなのだ。
一見すると茶坊主が出世するようだが、それも違う。周囲の信頼が薄ければ、そのうちメッキが剥がれる。「仕事をキッチリこなす」ことの積み重ねによって、信頼感を勝ち取るしかないのだろう。それは企業でも、個人でも同じことである。
日本を代表するような大企業の経営陣は、「人を見る」ということに長けているのだろう。そういう百戦錬磨の人に信頼される、というのは大変なことである。
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