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好きなことでも努力が必要な理由

好きなことであれば努力はいらないと言う人がいる。努力を必要とする時点で、好きとはいえず、努力せずにそれをやっている人に勝てるはずがない、というのがその道理だ。
 
でも、さすがにそれは極論ではないだろうか。どんなに好きなことであっても努力はしなければならないと思う。例えばプロ野球選手は野球が楽しくてたまらず、試合や打球練習に努力は不要かもしれないが、すべてのトレーニングが楽しいかというと、きっとそんなことはないはずだ。
 
プロ野球選手であり続けるためには走り込みをしなければならないだろうし、筋トレもしなければならない。また、食事制限をして、好きなものを食べるのを我慢しなければならないこともあるだろう。

実際に野球で打球練習などをしている「楽しい時間」は、全体でいうとほんの一部ではないだろうか。当然ながら、試合をしている時間はもっと限られている。

僕は文章書くのが好きで、できれば文章を書いて身を立てることができればいいと考えているのだが、それでもいつも楽しく文章を書いてるわけではない。
 
ただ、おそらく、普通の人と比べると文章を書くのに苦痛が少ないとは思う。僕は毎日平均して1500字の文章を書いているが、年間にすると約54万字になる。

普通の人が書く「一番長い文章」はおそらく、大学を卒業するときに書く卒業論文などだと思うが、平均すると2万字程度らしい。それが27倍近い分量を、毎年書いていることになる。
 
文章書くのは結果としてはそれなりに楽しいのだが、あまり意識しないようにしている。なるべく、これを食事や睡眠などのように日常的な行為として、意識せずに継続できるレベルを目指している。ご飯を食べるのは重要だし、おいしいのだけれど、毎回の食事でおいしさを噛み締めている人は居ないように、だ。

もちろん、特別なシチュエーションで、とてつもなくおいしいものを食べればおいしさを噛みしめるだろうが、平日の忙しい昼間に味を噛み締めながら食事をしている人はそれほどいないはずだ。ときには淡々と、ときには流し込むようにご飯を食べることだろう。
 
僕は文章に関しては、毎日更新することがとにかく大事だと考えている。最近ではあまり自分自身の成長を実感する事はないが、淡々と継続する限り、自分の思考が磨かれ、文章が上達するものと期待している。スポーツ選手における走り込みや筋トレに近いかもしれない。
 
出来る限り平常心で更新を続けるために、いろいろ工夫もしている。例えば、この文章は常に3日分がストックされていて、基本的に書いた3日後にアップされるようになっている。この「3日分」というのがバッファー(緩衝)として機能していて、何らかの事情があって書けない日があったとしても、継続されるようにしているのだ。
 
実際、突然急に仕事が入ったり、プライベートで用事ができたりして時間がコントロールできない時がしばしば発生するので、このバッファーという考え方はとても重要だ。

平日でこのストックを使ってしまった場合、休日に2本書いて、それを穴埋めする。「書きたいときに、書きたいだけ書く」というアマチュア的な、「楽しさ本位」での執筆を防ぐための自分なりの工夫だ。

楽しいからやるのは、それは結構かもしれないが、裏を返せば楽しい時はやらない、ということになる。仕事として本気でやっていくためには、楽しい時にやるのは当然のことで、むしろ楽しくないときにどう気持ちをコントロールするかが重要だと思っている。

それには、日ごろから鍛えておくのが手っ取り早い。楽しい、楽しくないと言う感情に振り回されず、とにかく自分の決めた量をこなしていく。それこそがプロで通用する実力を養うと思う。
 
楽しくない時にやる事はきっと努力が必要なことだろうと思う。楽しい時にやれば、きっと努力は必要ないのだろう。
 
もっとも、「苦痛もまた、楽しい」というのが、真に楽しいことなのかもしれないが。その場合、飽き始めたときがひとつの境目になるのかな。

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