ロジックの通じない創作
ありがたいことに作曲の依頼をいただいた。作曲なんてのは基本的に無報酬で、自分の好き勝手に作っていたのだけれど、定期的に他人からの有償の依頼で楽曲を作らせていただく機会がある。
そんなに無理のあるスケジュールでなければ引き受けるようにしているのだが、依頼を受けて作曲をすることの大変さを毎回噛み締めている。今回ももちろん噛み締めている。大変である。
あまりにも作曲が大変なとき、自分には才能がないのかな、と思うときがある。しかし、サウンドコンポーザーとして一線で活躍されているプロの方の声を聞いても、皆一様に大変そうである。
自分には本業があり、あくまで趣味の延長として作曲作業をしているだけなので、プレッシャーとしてはかなり小さい方だとは思うのだけれど、本業としてこれを請け負っている人のプレッシャーは計り知れない。
例えば、映画やドラマなどの大規模な映像制作の場合、映像部分に関わる人は大勢いても、音楽は一人の作曲家が担当することが多い。映像メディアから得られる感動のうち、音楽パートから受ける感動はかなりの部分を占めると思うのだが、たった一人の人間の肩にそれがかかっていると思うとかなり大変だ、と思う。
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作曲作業の何が大変かというと、とことん抽象的な作業だからだろう。理詰めで考えられる部分はあるが、結局どれだけ理論を精緻にしても、音楽を聞くのは最終的には「人の感性」なので、そこにマッチしていないとどうしようもない。
「こうしてほしい」というオーダーが抽象的なので、それに合わせて作っていくのだが、そのオーダーに沿っているかどうか、の判断も抽象的になる。
作曲というのは抽象的であるがゆえに、非常にクリエイティブな作業だと感じる。こうやって書いているブログ文章は、ある程度はロジックで考えているので、大変な作業ではない。本当にクリエイティブな作業というのは、もう何も出ない、と思ってから、どれだけ絞り出せるか、ということなのだろう。
何も出ないと思っていた矢先に、「何か」が出てくることもある。しかし、何も出ないかもしれない。その、「何も出ないかもしれない」という恐怖と戦い続けることになる。
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漫画家も、ストーリー性の高い漫画よりも、ギャグ漫画のほうが作るのが難しいらしい。やはり、ギャグも感性に直接働きかけるものなので、出てこないときはとことん出てこないのだろう。それでも、それを仕事としている以上は、やるしかないのだが。
人はルーティンワークを好む生き物だ、というのは以前も書いたことがある。「この通りにやれば、成果が出る」というのがいかに楽なことか。
クリエイティブな仕事とは、そういうのを超えたところにあるのだろう。
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