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孤独を乗り越えて

リッキーチャンネルというユーチューバーの生放送(録画)を見ていた。

知り合いのギタリストの方と、同じくギタリストであるリッキーがフリートークするという番組だったのだけれど、生放送のコメントで視聴者から質問が寄せられて、それに対してふたりで答えていく、という形式で番組が進行していた。
 
その中で、かなりド直球な質問が視聴者から寄せられた。「どうすればギターがうまくなりますか?」と。
 
ゲストのkoichiというギタリストがまず回答したのだけれど、その内容に痺れた。その答えは、「孤独に耐えること」。

ほとんど間髪入れず答えていたので、持論なのかもしれない。曰く、ギターの練習というのは果てしなく地味だし、孤独なのだが、ギターの練習を続けていくと、そういう孤独が気にならないぐらい没頭できる瞬間がある、と。

その没頭している瞬間が、まさに成長している瞬間そのものであり、その没頭する練習を毎日継続することができれば、間違いなくうまくなる、ということだった。

リッキーもその意見には同意らしく、ふたりの共通の価値観であったようだ。

僕もその意見には概ね同意する。

最近は、誰かと一緒になにかをするとか、力をあわせて何かを成し遂げるとか、そういうことがやたらともてはやされるけれど、結局のところ、出発点は孤独だし、何かをやる人間というのは原則的に孤独なんだと思う。

でも、それに耐えて、それを乗り越えてこそ、何者かになれるのではないか。そんな気がする。
 
小説を書いたり、音楽制作をする作業というのは徹底的に孤独だ。ひとりで、すべてを自分で決めなければならない。

他人の意見を聞くことはできるけれど、最終的に判断するのは自分。まして、他人と一緒に決める、なんてことはできない。

スポーツ選手のトレーニングだって、そういうものじゃないかと思う。試合はもちろんチームメンバーで力をあわせてやるのかもしれないが、その試合にたどり着くためのトレーニングや練習というのは、孤独なものだ。

練習をするには、自分の課題を適切に設定しなければならず、それをこなすのも自分にほかならない。他の人と一緒にやることもできるが、他人が肩代わりできるものでもない。

究極的には、自分の世界で、自分の孤独と向き合って、没頭する必要がある。

世の中には、「みんなで一緒に」というアナウンスは多いけれど、「もっと孤独になれ」というアナウンスは、ほぼないのではないか、と思う。というか、あまり聞いたことがない。

勉強や仕事だって、孤独に取り組むというよりは、いろんな人と協力して取り組んでいく、という感じがメインだ。でも、真実はそこにはないのでは、と思う。
 
孤独に耐える。耐えるだけでなく、乗り越える。

それができた人だけが、次に進めるのでは、と思う。

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