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追い込まれと視野狭窄について

夏ぐらいからわりと追い込まれていたのだが、少し持ち直してきた。

劇的に状況が変わったわけではないのだけれど、ちょっと安定した状態なってきたというか。「通常の自分に戻ってきた」といったほうが正しいだろうか。
 
今年を振り返るにはまだ少し早いけれど、なかなか激動の一年だった。今年の頭からパンデミックの影響が出て、春先から夏にかけては環境が激変した。夏から秋にかけて少しずつハードランディングして、やっとちょっとずつ安定してきた。そんな感じだろうか。

もちろん、春になる前からある程度、この状況について、想定はしていたのだけれど、思っていたよりずっと大変だった。もちろん、まだ渦中にはいるし、ぜんぜん解決はしていないのだけれど、ちょっとだけ、周りを見回す余裕が出てきている。

電車の中吊り広告とか、YouTubeの広告などで、「借金減額」の広告をよく見かける。ラジオのCMでもよく流れているかも。

なんかちゃんとしたロジックがある広告ももちろんあるのだけれど、ブランド品を買い漁った結果のカードキャッシングでも大丈夫だとか、普通に考えたらそんなわけないでしょ、というようなものがけっこう溢れている。

そんなのに相談する人なんているのかな、という気もするけれど、実際にあれだけの広告が出ているということは、効果があるということであり、需要があるのだろう。僕は借金をしたことがないから、どういう仕組みで減額されるのか、法の抜け道みたいなものがあるのか、疎いのでよく知らないのだけれど。
 
宗教の類もそうだと思う。普通の状態だとても信じられないようなことも、精神状態が不安定だと、目が向いてしまうこともある。

要するに、いま自分がいる場所が苦痛すぎて、そこから早く逃れたいので、視野が狭まってしまうのだと思う。高速道路を走っているときのように、周りの風景を見る余裕がなく、目の前しか見られないような状態。

常に「正常なときの自分」でいられると思ってはいけない。出口を求めるときの精神状態は、普通ではなくなるから、そういう自分も想定しておかなければ。自分を客観的に支えてくれる人、自分から見えている風景以外の客観的な情報を与えてくれる人がそばにいるといいのかもしれない。

視野が狭まっている人に、視野を広げろ、といってもあまり意味がない。そんなことはわかっている。ただ、目の前だけを見るしかない、そういう状況に追い込まれているから、そうするしかない。

そういうときは、周囲の人が周りを見渡して、視野が狭まっている人をサポートしてあげる、それしかないのでは、と思う。もちろん、逆の状況もしかり。
 
高速道路を走っているときは、助手席の人がサポートをする。とても当たり前のことではありますが、大事なことだと思います。

サポート費用は、小説 エッセイの資料代に充てます。