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「動機」なんて「後付け」でいい

世の中のあらゆる行動の動機には、ネガティブな動機とポジティブな動機がある。よく目にするのは、ポジティブな動機の方が多いだろう。たとえば転職活動の面接では、基本的には前向きなことしか言わないはずだ。

しかし実際のところは、ひとを動かすのはネガティブな動機が主なのではないか、と思いはじめた。例えば、普通に働きたくないのでミュージシャンを目指すとか、小説家を目指す、などである。こういったものもよく聞く話ではある。

一般論ではあるが、僕はポジティブな動機のほうが健全だと思っている。逃げの姿勢だと、最初は良くてもそのうちきつくなるだろうな、と思うからだ。

逃げの姿勢になっている人を対象にした商売も世の中にはたくさんある。何のために存在しているのかよくわからない専門学校なども多い。例えばプロゲーマーを育成する専門学校などだ。講師の人たちを食べさせていくための機関としか思えないようなものもある。

しかし最近、ネガティブな動機って全然バカにならないよな、と思えてきた。というか、実際にパワーが出るのはネガティブな動機なのである。

例えば、転職活動では基本的にポジティブな動機しか語らないが、ポジティブな動機のみで実際に転職をする人ってどれくらいいるのだろうか。つまり十分な給料をもらえていて、成長もできるような職場からあえて離れるような人は本当にいるのか、という話である。

もしいたとしたらそれはなかなかすごいことだと思うが、あまりメジャーではないと思う。起業家の話を見てみると、「朝起きて会社に行くことができないから起業した」と言っているパターンが結構ある。例えば、起業家の家入一真などだ。普通はそこまで表には出さない人が多いのだけれど、結構この理由で起業した人は多いんじゃないかと思う。

そう思って、こないだ桜井政博のYouTubeを見ていたら、ネガティブな動機でパワーを出すという動画があった。

昔、徒競走で足が遅かった桜井さんは、「何かが後ろから追いかけてくる!」という妄想をして走ってみたところ、足が速くなったというのである。

何かに「向かって走る」よりも、「逃げ足」の方が必死になり、潜在能力が引き出せる、ということだろうか。

自分がやりたいこととやりたくないことというのは表裏一体のような気がする。何かやりたいことがあって、それに全力を出せれば良いのだけれど、それはあくまでも明るい側面であって、その背後には「こういったことはやりたくない」というネガティブな気持ちがあるのではと思う。人間の選択なんてそんなものだろう。

どちらかというと、消去法で選択するほうが多いのではないだろうか。そしてネガティブな動機というのは結構強いので、とんでもないパワーが出たりする。背水の陣というか、引くに引けない状況に自分を追い込み、力を出さざるを得ない状況を作るのが有効なのかな、と思う。

そもそも、安定していて先立つものがないと新しいことに挑戦しよう、とはなかなか思えないだろう。先行きが不安定で、なんとかしなければ、という思いが行動につながるのだ。

動機はどうあれ、結局は行動することが大切だし、成功するかどうかは運次第、ということなのかもしれない。ネガティブな動機でパワーを出してもうまくいかないものはいかないし、ポジティブな動機で適当にやったとしてもうまくいく時はいくだろう。

大事なのは行動するかどうかというところであって、動機なんて本当は「後付け」でもいいのかも。ある程度行動してから、「あれ、これってなんでやりはじめたんだっけ?」と振り返ってもいいのでは、ということだ。

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