「省かれた情報がある」ことを知ること

先日、はじめて自分で唐揚げを揚げてみた。何を突然やり出したのかという感じだが、急にやってみたくなったのだ。奥さんに事前に宣言して、週末のランチは僕の作る唐揚げになった。やってみると実に楽しかった。

一人暮らしの期間は結構長かったが、自炊はほとんどしてこなかった。あまりその必要性を感じていなかったからだ。しても野菜を炒めるとか、その程度である。揚げ物なんてよくわからないし、「後処理が面倒だ」というのを聞いていたので、なおさらやる気にはならなかった。

ところが、偶然ある料理研究家の動画をYouTubeで見かけ、実に簡単そうに料理しているので、これなら僕にもできるのでは、と思った。工程的に難しいところは何もなく、理解できないところもなかった。

とりあえず挑戦してみたところ、初回の挑戦だがかなりうまく行った。奥さんも美味しいと言ってくれたし、自分も美味しいと思った。成功である。

これは僕に実は隠れた料理の才能があった、とかそういうわけではなく、ただ動画でやっていたことを自宅で再現しただけである。その意味では、素人でも簡単に美味しく作れたそのレシピと動画がすごい、ということになる。本格的な料理ではやるはずの工程をどうも省いているらしく、素人でも再現可能という点においてよく練り上げられている、と思った。カラオケで歌われることが前提のシンプルなメロディーの曲、といった感じだろうか。

動画になっているのでわかりやすく、不明な点が何もなかった。実際にやってみても、迷うところがなかった。これがもし、料理本のレシピなどで、文章を頼りに作れということだったら挫折していたかもしれない。いや、それどころか、やろうとすら思わなかった可能性がある。

インターネットによって「情報が民主化」されたと言われている。ちょっと大袈裟な表現ではあるが、いまの時代は情報が民主化されているので、一般的な事柄だったら調べたらだいたいわかる。

「唐揚げの美味しいレシピ」は、唐揚げ名人の家を訪ねてコツを聞かなくても、スマホでYouTubeアプリを起動すればすぐにわかるのだ。しかも、一分以内に目的の情報にアクセスできる。考えてみれば、これは異常にすごいことだなと思う。

2000年代はインターネットの時代で、2010年代はスマホの時代になった。2020年代は動画の時代だと思う。動画によって、何かを理解することが容易になった。なんせ動画なので、文字を読まなくてよい。YouTubeを開くと、あらゆる分野の専門家が、動画でものごとを解説してくれる。すごいことだ。

YouTubeの動画では「理解しにくい動画」というのがあんまりない。たいていの動画は編集も丁寧だが、そういう意味ではなく、内容として理解が難しいほど難解な内容を扱わない、ということである。たいていの人は、たくさんの人にみてもらうことを想定しているため、どうしても内容はわかりやすいものになる。

わかりやすいだけでなく、上述の料理動画のように、「本来は必要だが、素人のために省いている情報」も多くなる。というか、そうやって省かれた動画がわかりやすいので人気が出るのだろう。

結果、YouTubeは「わかりやすい」動画で溢れている。それ自体は悪いことではないのだが、わかりやすいものは何かが省かれている可能性がある、と知ることは大事なことだと思う。また、わかりやすい動画を求めるようになると「難解なもの」に触れる機会が減ってしまう。

動画の利点は、自分で何かをしなくても、自動的に画面の中で人が動き、物事が進行していく、という点だろう。ただ映像についていって、それを消化しているだけでよく、自分で物事を考えることはできないし、しなくてもよい。

本は自分のペースで読んでいるので、読みながら別なことを考えることもできる。巻き戻すこともできる。それは動画でもできそうに思えるが、「次から次に」情報が流れていくのを「消化」するのに集中させられるため、実際のところはなかなか難しいかも、と思う。

唐揚げを揚げるぐらいだったら、動画のみでも全く問題はないと思うのだけれど、動画が全盛の時代になると、自分でものを考えることがますます減るな、と思う。試行錯誤することも減る。

まあ、僕は料理については、とりあえず美味しい料理ができればそれでいいので、別にそれでいいんだけども。

サポート費用は、小説 エッセイの資料代に充てます。